ディディエ・ゾコラ(Didier ZOKORA)
フルネーム ディディエ・ゾコラ
国籍 コートジボワール
出身地 アビジャン
生年月日 1980・12・14
身長 183cm
体重 78kg
利き足
ポジション MF(DMF)
FK PK  
キャプテン経験 代表
代表デビュー 2000・4・23
ルワンダ戦
代表背番号
W杯メンバー 06年 10年
14年
ニックネーム マエストロ
個人タイトル  
チームタイトル 99コートジボワールカップ
00コートジボワールリーグ
01/02ベルギーリーグ
07/08イングランドリーグ・カップ
09/10コパ・デル・レイ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
99 ASECミモザ    
00 ASECミモザ    
00/01 ゲンク(ベルギー) 25 28
01/02 ゲンク(ベルギー) 4 30
02/03 ゲンク(ベルギー) 4 33
03/04 ゲンク(ベルギー) 4 32
04/05 サンテティエンヌ(フランス) 5 35
05/06 サンテティエンヌ(フランス) 5 31
06/07 トッテナム(イングランド) 4 31
07/08 トッテナム(イングランド) 4 28
08/09 トッテナム(イングランド) 4 29
09/10 セビージャ(スペイン) 8 26
10/11 セビージャ(スペイン) 8 23
11/12 トラブゾンスポル(トルコ) 15 27
12/13 トラブゾンスポル(トルコ) 15 27
13/14 トラブゾンスポル(トルコ) 15 24
14/15 アキサル・ベレディイェ(トルコ) 45 25
15 プネー(インド) 4 13
16 ノースイースト(インド) 5 14
17 セメン・パダン(インドネシア) 15 11
18    
元来DFであり球際に強く、フィジカルと機動力を駆使してボールを奪い、「マエストロ」の異名をとるほどの優れた展開力と戦術眼でゲームを構築するボランチです。

他の代表選手と同じく、ジャン・マルク・ギ・ルーが設立したアカデミーで育ちます。アビジャンではK・トゥーレとCBコンビを組むなどDFとしてプレーしていました。
2000年にゲンクに移籍。後にJリーグの名古屋で指揮を執るフェルフォーセン監督に抜擢され、1年目からレギュラーとして30試合に出場してリーグ優勝に貢献しました。02/03シーズンは日本代表FW鈴木隆とも同僚になり、チャンピオンズ・リーグにも6試合出場しました。
04/05シーズンから昇格したサンテティエンヌに移籍。2004年8月7日、開幕モナコ戦でフランスデビューします。集中力が切れて致命的なミスを犯す場面もあり中盤にコンバートされますが、これが功を奏し、高い技術や戦術眼など潜在能力が開花、瞬く間に主力になります。チームの失点34はリヨン、リールに次ぐ3番目の少なさで、自身の存在が大きく影響した結果となりました。05/06シーズンはチームこそ低迷したものの、自身は31試合に出場しました。
W杯での活躍で注目を集め、ビッグ4なども獲得に動く中、最終的に18億円でトッテナムに加入。8月19日ボルトン戦でプレミアデビューを果たします。リーグ戦ではカードをもらう場面が多かったものの、2年目のUEFA杯ではチーム内でただ一人10試合先発出場を果たします。また、リーグ杯決勝ではチェルシーを下して9年ぶりの王者となり、3年目も準優勝となりました。
09/10シーズン、ホンジュラス代表パラシオスの加入に伴いセビージャへ移籍。8月30日バレンシア戦でリーガにデビューし、同胞ロマリッチと共にクラブの中盤を支えます。チャンピオンズ・リーグでは8試合先発するも本田圭のFKによりベスト16で姿を消しました。リーグ戦を4位で終え同大会出場権を手にしますが、翌シーズンのプレーオフでブラガに敗れました。
ヨーロッパリーグでは香川擁するドルトムントやPSG、ポルトなど相手に7試合プレーします。しかし途中でチリ代表メデルの加入もあり、徐々にベンチで過ごす時間が多くなりました。
出場機会を求め、チャンピオンズ・リーグに出場するトラブゾンスポルへ移籍します。2011年9月10日マニサスポル戦でトルコリーグにデビューし、2枚のレッドを受けながらも1年目からコンスタントにプレーしますが、3年目の途中にクラブとの契約を解除しました。
アキサルではFWゲカスと共にセンターラインのかなめとなりますが、1年で退団しました。以降は東南アジアを渡り歩いています。

2000年4月23日ルワンダ戦で代表デビュー。2002年W杯出場を逃しますが、その後中軸を担い、2006年W杯予選では出場停止以外の全試合に出場し、母国のW杯初出場に貢献。本大会はグループリーグ敗退に終わりましたが、全試合にスタメン出場しました。
2010年W杯予選ではチームで唯一全12試合スタメン出場を果たし、2大会連続出場に大きく貢献、2次予選ボツワナ戦では代表初ゴールを挙げました。本大会でも3試合出場しますが、前回に続き死のグループ(ブラジル、ポルトガル、北朝鮮)となり、早期敗退となりました。2006年アフリカ選手権では準優勝しましたが、以降2大会では順位を下げました。
2014年W杯予選は5試合戦い、CBとしてクラブの同僚でもあるバンバとコンビを組みます。日本戦から2試合連続でイエローを受け、3度目の大会はピッチの外で終えました。
代表記録

余談
・腕に実弟アルマンの名を彫っています。
2010年6月4日:新規アップ 2018年6月26日更新