ズデネク・ゼーマン(Zdenek ZEMAN)
フルネーム ズデネク・ゼーマン
国籍 チェコ  
出身地 プラハ
生年月日 1947・3・12
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
経歴 1981〜83 パレルモ・ユース(イタリア)
1983〜86 リカタ(イタリア)
1986〜87 1989〜94 2010〜11 フォッジャ(イタリア)
1987〜87 パルマ(イタリア)
1988〜89 メッシーナ(イタリア)
1994〜97 ラツィオ(イタリア)
1997〜99 2012〜13 ローマ(イタリア)
1999〜00 フェネルバフチェ(トルコ)
2000〜00 ナポリ(イタリア)
2001〜03 サレルニターナ(イタリア)
2003〜04 アヴェッリーノ(イタリア)
2004〜05 2006〜06 レッチェ(イタリア)
2006〜06 ブレッシャ(イタリア)
2008〜08 レッドスター(セルビア)
2011〜12 2017〜   ペスカーラ(イタリア)
2014〜14 2015〜15 カリアリ(イタリア)
2015〜16 ルガーノ(スイス)
獲得タイトル  
プラハ出身。父親が顧問医師だったこともあり勉学に励み、大学ではスポーツ学を専攻してフィジカルトレーニングなどを修了。プロ選手の経験はありませんが、攻撃的MFとしてプレーしました。また、バレーボール、ハンドボール、野球、水泳もこなすスポーツ万能な青年でした。

4−3−3のフォーメーションは、もはや自身の代名詞といっても過言ではなく、最終ラインをセンターサークル付近にまで押し上げてオフサイドトラップを仕掛けると、そこから一気にカウンターに持ち込みます。攻撃時には2バックに見えるほど前がかりな布陣です。
特徴的なのが3人のFWの配置であり、本来3トップのWGが横に大きく開いているのに対し、自身の布陣でのWGは、中央よりの位置でセンターとサイドをこなしていました(代表的なのがローマ時代)。もちろん選手の資質により、通常の3トップも組みます。
おもにイタリアでキャリアを積みますが、結果至上主義の同国において攻撃を最重要視し、スペクタクルを追求する姿勢は議論の的となります。試合内容も荒れることが多く、常にリスクを背負った戦いであるため間近にある勝利を逃すことも多々あり、キャリアの割にタイトルに恵まれません。また、フィジカル・戦術両面のトレーニングがハードで(しかし選手からは慕われています)、シーズン途中から選手が疲弊し成績が下降する傾向が多いものの、自身のスタンスを貫くことを最優先させるため、クラブと複数年契約を交わすことはありません。
上記のように大卒であるため、指揮を執るチームにフィジカルコーチはいません。また、むやみに選手を補強せず、現有戦力の底上げと自らの眼で選手を発掘してチームを作ります。

1968年に勃発した旧ソ連支配に対する共産主義革命、俗に言う「プラハの春」にてチェコ・スロヴァキア(現在は分離)に旧ソ連の進駐軍が攻め込んできた際、自身と母国の未来を案じてイタリアのパレルモにある叔父の家へ移ります。1975年には同国の市民権も取得しました。
現役時代にトリノ、パレルモ、パルマで活躍し、監督としてもユヴェントスを71/72シーズンからスクデット2連覇に導いた叔父のチェストミール・ヴィスパレックから多くを吸収し、1981年に彼の紹介で地元パレルモのユースに入り指導者のキャリアを始めます。ここで戦術をチームに植え付けて強化に成功。1985年に28歳で監督ライセンスを取得し、セリエC2リカタに招へいされました。そしてパレルモ時代の選手を引き連れてチームの中心軸にすると、2年目に早くもリーグを制してC1昇格を果たし、翌年には残留に成功しました。その後もC1のフォッジャ、シーズン途中のパルマと渡り歩き、メッシーナではFWスキラッチの能力を引き出しました。
89/90シーズンにフォッジャへ復帰し、FWシニョーリ、バイアーノ、MFランバウディを擁して2年目に昇格します。Aでの戦いに備えてルーマニア代表ぺトレスク、ロシア代表コリヴァノフ、シャリモフを獲得し、良くも悪くも印象に残る戦いを見せて初年度に9位と結果を残しました。その後攻撃陣を高値で売却し、オランダ代表MFロイ、コスタリカ代表FWメドフォードを獲りますが、いずれも不本意な結果となりました。4年目はアルゼンチン代表チャモを獲得して既存のディ・ヴィアッジョらと守備を安定させました。4年で2度の一ケタ順位を達成するなどA残留に成功し、「ミラクル・フォッジャ」としてセリエの歴史にその名を刻んだのです。
1994年にラツィオに招へいされます。チャモやランバウディを引き抜き、自身から離れてすぐに2年連続得点王になったシニョーリと質の高い子飼いの選手に加え、将来を嘱望されるネスタ、中盤にはディ・マッテオやオランダ代表ヴィンテル、前線にもカジラギやクロアチア代表ボクシッチと充実した陣容を擁してフィオレンティーナに8−2、古巣フォッジャに7−1で勝利する破壊力でスクデットも視野に入れていましたが、ユヴェントスの前に惜しくも2位に終わりました。翌シーズンも開幕から無敗をキープすると、第8節ユヴェントス戦では4−0と快勝して雪辱を果たしました。しかしシーズン半ばに差し掛かる11月からの2ヶ月で6敗を喫して3位に終わりました。3年目にはシニョーリと共に得点王になったプロッティ、同胞のMFネドヴェドを獲得してワールドクラスに仕立て上げましたが、順位が上向かず途中で解任されました。
しかしこれがローマ就任という禁断の決断を下すきっかけとなります。4−3−3を持ち込み、レヴァークーゼンからP・セルジオを獲得します。既存のバルボと南米の選手が組む前線に生え抜きのトッティを組ませ、3人とも2ケタ得点をマークします。チームは4位に終わりましたが、総得点67は優勝したユヴェントスと並び、失点も42とまずまずの結果となりました。98/99シーズンもデル・ヴェッキオの18得点を筆頭に、トッティ、P・セルジオが2ケタ得点をマークしましたが、守備が相変わらず不安定で下位チームへの取りこぼしが目立ち、5位と順位を下げました。また、この時期にユヴェントスのデル・ピエロ、ヴィアッリといった実名を挙げてサッカー界のドーピング疑惑を糾弾して物議を醸し、イタリア国内での仕事を失いました。
それでもフェネルバフチェからオファーがあり、ルーマニア代表モルドヴァンとボスニア・H代表ボリッチというFWを中心に攻撃的に振舞いますが、4位に終わりました。ナポリでは同胞ヤンクロフスキの成長を促しますが、エヂムンドが振るわずB降格となりました。Bのサレルニターナでは14得点のディ・ミケーレが引き抜かれたチームを15位から6位に引き上げました。Bのアヴェッリーノでは「ミラクル・フォッジャ」時代の教え子ストロッパにノチェリーノ、ベラルーシ代表FWクツゾフを中心に戦いましたが、23位に終わってC1降格となりました。
04/05シーズンに教え子のD・ロッシ監督が基礎を構築したレッチェに就任。若手が多く戦術が素早く浸透します。ブルガリア代表ボジノフは冬に退団しましたが、リーグ5位の19点を取ったモンテネグロ代表ヴチニッチやインサイドハーフのウルグアイ代表ジャコマッツィ、司令塔レデスマといった卓越した個を誇る選手の存在もあり、優勝したユヴェントスに次ぐ66得点、失点もリーグ最多の73失点と自らのスタイルを貫きながら、悠々と10位でAに残留しました。
しかしわずか1年で終わり、その後はブレッシャ、レッチェ、レッドスターと短期間で複数のクラブを渡り歩きました。復帰した3部でのフォッジャでは20得点のサウと19得点のインシーニェの活躍がありながらも6位と結果が出ませんでした。
11/12シーズンにBペスカーラに就任します。インシーニェを引き抜き、インモービレとの2トップに司令塔ヴェッラッティを軸とした攻撃で得点はリーグ最多の89、一方失点も昇格プレーオフ圏内の6位までのチームで最多の55と、ここでも標榜するスタイルが色濃く表れましたが、クラブに約20年ぶりのA復帰をもたらしました。そしてストロッパに後を託して退団しました。
12/13シーズンに13年ぶりにローマに戻ります。トッティ、ラメラ、オスヴァルドといったFWは無難でしたが、MF以降は新加入の選手が大半であり特異な戦術もチームに根付かず、若いタクシディスを司令塔に据えてベテランのデ・ロッシとの間に亀裂が入ります。結局中位から抜け出せず、1月から2月にかけて2分3敗に終わり、23節終了後に解任されました。
14/15シーズンにカリアリに就任。指導済みのCFサウ、MFコンティを中心にチームを作り、アウェーのインテル戦ではサウに加え、スウェーデン代表エクダルがハットトリックを見せるなど4−1と快勝。その後もサンプドリア、ラツィオ、ナポリ戦で打ち合いを演じますが降格圏内から抜け出せず、ウィンターブレークを前に解任されます。その後ゾラ監督が10試合で解任されてカリアリに戻るものの、5試合で1分4敗と散々な結果に終わり、再び解任されました。
15/16シーズンにスイスのルガーノに就任。チームを1部に残留させ、カップ戦でも準優勝になりますが、1年で退任しています。

2015年1月8日:新規アップ 2017年2月20日更新

91/92フォッジャ
  バイアーノ  
シニョーリ ランバウディ
バローネ ペトレスク
  シャリモフ  
ピカッソ コディスポーティ
コンサグラ マトレカーノ
  マンチーニ  

94/95ラツィオ
 ボクシッチ 
シニョーリカジラギ
ヴィンテルディ・マッテオ
 フゼール 
ファヴァッリネグロ
チャモベルゴディ
 マルケジャーニ 

97/98ローマ
 バルボ 
トッティP・セルジオ
ディ・フランチェスコトンマージ
 ディ・ビアッジョ 
カンデラカフー
アウダイールペトルッツィ
 コンセル 

04/05レッチェ
 ヴチニッチ 
ピナルディボジノフ
ダッラ・ボーナジャコマッツィ
 レデスマ 
ルッロカッセッティ
ストビーニディアムーデネ
 シチニャーノ 

12/13ローマ
 オスヴァルド 
トッティラメラ
フロレンツィブラッドリー
 タクシディス 
バルザレッティピリス
L・カスタンマルキーニョス
 ゴイコエチェア