フルネーム ジャンルカ・ザンブロッタ
国籍 イタリア
出身地 コモ
生年月日 1977・2・19
身長 181cm
体重 76kg
利き足
ポジション DF(LSB)
FK PK  
キャプテン経験  
代表デビュー 1999・2・10
ノルウェー戦
代表背番号 17 19
W杯メンバー 02年 06年
10年
ニックネーム ゾロ
個人タイトル 06UEFAベストイレブン
チームタイトル 01/02,02/03,10/11セリエA
06FIFAワールドカップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
94/95 コモ(2部)
95/96 コモ(2部) 14
96/97 コモ(2部) 33
97/98 バーリ 19 27
98/99 バーリ 19 32
99/00 ユヴェントス 19 32
00/01 ユヴェントス 19 29
01/02 ユヴェントス 19 32
02/03 ユヴェントス 19 26
03/04 ユヴェントス 19 30
04/05 ユヴェントス 19 36
05/06 ユヴェントス 19 32
06/07 バルセロナ(スペイン) 11 29
07/08 バルセロナ(スペイン) 11 29
08/09 ミラン 15 34
09/10 ミラン 15 24
10/11 ミラン 19 15
11/12 ミラン 19 12
13/14 キアッソ(スイス2部) 3
ドリブルと正確なクロス、豊富な運動量を武器にクラブでも代表でも不可欠なサイドアタッカー。強いフィジカルと両サイドの前後をこなす高い戦術適応能力が特長です。

1994年に地元コモでキャリアをスタートさせます。バーリ移籍後の1997年8月31日パルマ戦でセリエAにデビュー。主力として2シーズンを過ごしてユヴェントスへ移籍します。
1年目はリーグ最終節ペルージャ戦で退場となり、チームも0−3で敗れラツィオに優勝をさらわれますが、翌シーズン以降スクデット2連覇を達成。毎シーズン30試合前後出場するタフネスぶりを発揮します。元来中盤右サイドでしたが、リッピ監督により02/03シーズンに左SBにコンバートされ、このポジションでも世界最高峰との評価を得ます。左MFネドヴェドとの連係も機能し、04/05シーズンからのスクデット2連覇に貢献しました(後に八百長ではく奪)。
チャンピオンズ・リーグでも常に8試合以上出場するなど、クラブの決勝トーナメントに貢献、最高成績は13試合に出場して準優勝になった02/03シーズンでした。
06/07シーズンにクラブが八百長事件のペナルティでBに降格したため、テュラムと共にバルセロナへ移り、8月28日開幕セルタ戦でのリーガデビューを先発で飾ります。30歳目前で初めての異国でのプレーでしたが、年明け以降A・マドリー戦など3点を取りました。2年目もチャンピオンズ・リーグに8試合先発するなど最終ラインに定着しましたが、退団しました。
そしてロナウヂーニョと共にミランへ移籍します。初年度は右で34試合に出場し、2年目はレオナルド監督から左を任されますが、衰えもあり24試合にとどまります。3年目はアントニーニやアバーテといった後進の台頭で控えに徹し、8年ぶりのスクデットを手にします。しかし翌シーズン終了にセードルフやガットゥーゾら多くの主力と共に退団しました。
1年フリーで過ごした後、スイスでプレーして引退しました。

1999年2月10日ノルウェー戦で代表デビューします。2000年の欧州選手権では4試合に出場、準決勝のオランダ戦で退場処分を受けて決勝の舞台に立てず、チームもフランスに敗れ準優勝でした。その後、シドニー五輪にも3試合出場とタフネスぶりを見せました。
トラパットーニ監督の下でも先発出場が続き、2002年W杯予選で6試合、本大会でも全4試合に出場。2004年欧州選手権予選ではマルディーニの引退もあってクラブ同様左SBのレギュラーとなり、本大会でも3試合に出場しました。
2006年のW杯予選では、出場停止を除く全8試合に出場。本大会ではグロッソの成長もあり右SBも務めるなど6試合プレーしました。準々決勝のウクライナ戦では左足でミドルシュートを放ち先制点を決めると、トニのゴールもアシストするなど、24年ぶりの優勝に貢献しました。
2008年欧州選手権予選では8試合、本大会でも4試合フル出場したものの、チームはベスト8止まりに終わりました。翌年のコンフェデ杯では3試合で1勝2敗と苦しみました。
2010年W杯ではDF陣最多の9試合に出場。本大会でも3試合にスタメン出場を果たしましたが、2連覇はなりませんでした。
代表記録 97試合2得点

※:ジャンルカ・ザンブロッタ(Gianluca ZAMBROTTA)
2006年3月7日:新規アップ 2017年7月7日更新