マルセロ・サラジェタ(Marcelo ZALAYETA)
フルネーム マルセロ・ダヌービオ・サラジェタ
国籍 ウルグアイ
出身地 モンテビデオ
生年月日 1978・12・5
身長 186cm
体重 84kg
利き足
ポジション FW(CF)
FK PK  
キャプテン経験  
代表デビュー 1997・12・13
UAE戦
代表背番号
W杯メンバー  
ニックネーム  
個人タイトル  
チームタイトル 97,12/13,15/16ウルグアイリーグ
97ウルグアイリーグ・カップ
97/98,01/02,02/03セリエA
所属クラブおよび背番号 出場 得点
96 ダヌービオ 32 12
97 ペニャロール 32 13
97/98 ユヴェントス(イタリア) 27
98/99 ユヴェントス(イタリア) 27
98/99 エンポリ(イタリア2部) 29 17
99/00 セビージャ(スペイン) 24 28
00/01 セビージャ(スペイン2部) 24 22
01/02 ユヴェントス(イタリア) 25 11
02/03 ユヴェントス(イタリア) 25 22
03/04 ユヴェントス(イタリア) 25
03/04 ペルージャ(イタリア) 26
04/05 ユヴェントス(イタリア) 25 28
05/06 ユヴェントス(イタリア) 25 16
06/07 ユヴェントス(イタリア2部) 25 16
07/08 ナポリ(イタリア) 25 22
08/09 ナポリ(イタリア) 25 27
09/10 ボローニャ(イタリア) 25 29
10/11 カイセリスポル(トルコ) 9 14
11/12 ペニャロール 17 25 15
12/13 ペニャロール 17 28 15
13/14 ペニャロール 17 26
14/15 ペニャロール 17 29 10
15/16 ペニャロール 17 15
プレスに負けない身体の強さと水準以上のボールさばきによるポストプレーが武器です。控えの立場が続いても不満一つ洩らさないプロ意識の高さで、監督から厚い信頼を受けています。

1996年にダヌービオでプロデビューすると、いきなり2ケタ得点を挙げます。翌シーズンの強豪ペニャロールへの移籍後も好調を維持してタイトル獲得に貢献します。
97/98シーズンにユヴェントスへ引き抜かれますが、デル・ピエロとインザーギの強力2トップに加え同胞の先輩フォンセカも控えていたため、ほとんどプレーできませんでした。その後エンポリやセビージャへレンタル移籍して試合勘を取り戻していきました。
01/02シーズンに復帰しますが、ベンチが定位置でした。しかし翌シーズンのチャンピオンズ・リーグ準々決勝バルセロナ戦では延長戦で決勝弾を挙げて勝利に貢献します。決勝のピッチにも途中から立ちましたが同国対決でミランに敗れ、欧州制覇はなりませんでした。リーグでは終盤に2試合連続得点、特に最終節キエーヴォ戦で1試合2得点を見せました。
ペルージャを経て04/05シーズンに復帰します。イブラヒモヴィッチの加入もありましたが、カペッロ新監督に重用され最多出場を果たし、ローマやインテルから得点を挙げます。チャンピオンズ・リーグでも、決勝トーナメント初戦のR・マドリー戦で勝ち越し点を挙げるなど最高のシーズンを送りました。クラブがBに降格した後も残りましたが、出場機会は多くありませんでした。
07/08シーズンにAに復帰したナポリで定位置を掴みます。十字じん帯損傷で離脱しながらも、ウディネーゼやカターニャ相手の1試合2得点、ローマやインテルといった強豪からなど、ラベッシと並ぶ8得点を挙げてチームを中位に押し上げます。翌シーズンにもインテルとのホームゲームで点を取って勝利に貢献しました。09/10シーズンはクアリアレッラなど若手FWの加入によりボローニャへ期限付き移籍し、所属元のナポリやインテルなどから4点を取りました。
10/11シーズンにカイセリスポルへ。9月18日アンタルヤスポル相手のリーグデビュー戦では敗れはしますが得点を決め、14試合7得点と結果を残しました。
11/12シーズンに15年ぶりに母国に復帰し、開幕直後から得点を重ねます。2年目も好調を維持して2度目のリーグ優勝を果たしました。リベルタドーレスにも2012年から計16試合出場しますが、4得点にとどまりました。5年目を最後に引退しています。

国内での活躍により1997年Wユースに招集され、マレーシア戦、アメリカ戦、ガーナ戦と合計4点を挙げてチームを決勝進出に導きましたが、リケルメ、アイマールなどを擁するアルゼンチンに連覇を許し準優勝に終わりました。
その後1997年コンフェデ杯12月13日UAE戦にてフル代表デビュー。続くチェコ戦で点を取るなど4試合に出場してベスト4になります。1999年コパ・アメリカではエースとして6試合3得点の活躍を見せますが、決勝でブラジルに屈し準優勝となりました。
2002年W杯予選は4試合無得点に終わり、2006年W杯予選は9試合4得点と役割を果たしますが、大陸間プレーオフでPKを失敗して本大会出場はなりませんでした。
代表記録 32試合10得点

2007年11月13日:新規アップ 2017年6月17日更新