吉原 宏太(kota YOSHIHARA)
フルネーム 吉原 宏太(ヨシハラ コウタ)
国籍 日本 吉原
出身地 大阪府藤井寺市
生年月日 1978・2・2
身長 170cm
体重 66kg
利き足
ポジション FW(CF)
FK PK  
キャプテン経験  
代表デビュー 1999・7・2
パラグアイ戦
代表背番号
W杯メンバー  
ニックネーム コウタ
個人タイトル  
チームタイトル 05Jリーグ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
96 コンサドーレ札幌(JFL) 24
97 コンサドーレ札幌(JFL) 15
98 コンサドーレ札幌 18 34 11
99 コンサドーレ札幌(J2) 18 32 15
00 ガンバ大阪 18 19
01 ガンバ大阪 18 27 11
02 ガンバ大阪 18 27 11
03 ガンバ大阪 18 20
04 ガンバ大阪 18 22
05 ガンバ大阪 18 19
06 大宮アルディージャ 9 15
07 大宮アルディージャ 9 26
08 大宮アルディージャ 9 19
09 水戸ホーリーホック(J2) 13 47
10 水戸ホーリーホック(J2) 9 24
11 水戸ホーリーホック(J2) 9
12 水戸ホーリーホック(J2) 9 18
小柄な体躯をものともせず、一瞬でトップスピードとなり相手DFラインの裏を狙います。また、アグレッシブなドリブル突破も持ち味のストライカーです。

小学2年の時にクラブチームに入ってサッカーを始めます。地元中学から強豪の初芝橋本に進み、3年次に高校選手権に出場。岡山一と2トップを組んでゴールを量産し、大会通算7ゴールを挙げて得点王となりました。準決勝でFW平瀬擁する鹿児島実業に敗れました。
この活躍で脚光を浴び、卒業後にJFL札幌に入団します。4月21日福島FC戦にて開幕スタメンを飾り2ゴールを挙げて上々の滑り出しを見せると、翌シーズンも15試合で8ゴールと素晴らしい結果を残してクラブのJリーグ昇格に貢献しました。
1998年3月21日の清水戦との開幕戦にて先発でJデビュー。4月21日平塚(現湘南)戦で初ゴールを挙げます。自身はシーズン2ケタゴールと結果を出すもチームは降格します。翌シーズンは5月2日甲府戦でプロ初のハットトリックを見せるなどゴールを量産しました。
00シーズンにG大阪にレンタル移籍すると、翌シーズンに完全移籍となります。しかし西野監督と戦術面で衝突し、大黒や外国人FWの活躍もあって出場機会が減りました。
出場機会を求めて06シーズンより大宮でプレー。07シーズンは起用法が定まらなかったため5ゴールに終わりましたが、それでもチーム最多の数字となりました。
09シーズンにJ2水戸へ移籍。開幕直前の合流であったにもかかわらずスムーズにチームに溶け込み、9ゴールをマークしてチームを8位に導きます。しかし翌シーズンの終盤にアキレスけんを断裂し、復帰後もろっ骨を骨折するなど試練の時を過ごしました。
12シーズンは、自身が離脱している間に加入した鈴木隆とのコンビでクラブ初のJ1昇格を目指しますが、不本意な結果に終わって引退を決意しています。

1999年はシドニー五輪予選に出場し、1次予選のフィリピン戦でのハットトリックから5試合連続ゴールを挙げましたが、本大会メンバーからは落選しました。
同年7月2日、コパ・アメリカのパラグアイ戦で代表初キャップを踏んでいます。
代表記録 1試合
2007年6月17日:新規アップ 2013年2月2日更新