山口 素弘(Motohiro YAMAGUCHI)
フルネーム 山口 素弘(ヤマグチ モトヒロ)
国籍 日本  
出身地 群馬県高崎市
生年月日 1969・1・29
身長 177cm
体重 72kg
利き足
ポジション MF(DMF)
FK PK  
キャプテン経験 クラブ 代表
代表デビュー 1995・1・6
ナイジェリア戦
代表背番号 6 15
W杯メンバー 98年
ニックネーム モト
個人タイトル 96,97Jリーグベストイレブン
08Jリーグ功労選手賞
チームタイトル 93,98,99天皇杯
95,98ダイナスティカップ
95アジアカップウィナーズ・カップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
90/91 全日空(JSL1部)
91/92 全日空(JSL1部) 22
92 横浜フリューゲルス
93 横浜フリューゲルス 35
94 横浜フリューゲルス 34
95 横浜フリューゲルス 41
96 横浜フリューゲルス 28
97 横浜フリューゲルス 5 19
98 横浜フリューゲルス 5 34
99 名古屋グランパス 6 29
00 名古屋グランパス 6 28
01 名古屋グランパス 6 28
02 名古屋グランパス 6 25
03 アルビレックス新潟(J2) 8 42
04 アルビレックス新潟 8 29
05 アルビレックス新潟 8 12
05 横浜FC(J2) 30 18
06 横浜FC(J2) 6 46
07 横浜FC 6 20
攻撃にリズムを作ることができるゲームメーカータイプの守備的MFです。視野が広く、スペースや、そこに走りこんだ選手に絶妙なパスを送ります。頭脳的なプレーが特徴で、巧みなポジショニングでスピードや運動量不足を補います。

兄の影響で乗附小学3年時にサッカーを始め、4年から地元のサッカークラブ(高崎西少年団)に入りました。地元の片岡中学を経て強豪前橋育英高に入学し、攻撃的MFとして活躍。キャプテンに就任し、3年の時に全国選手権に出場するも九州学院との1回戦で敗れました。その後東海大へ進学すると、1学年下の澤登、礒貝らと共に4年で2回大学選手権を制しました。
大学卒業後の1991年に全日空(後の横浜F)に入社。加茂監督と出会い、ゾーンプレスを学びます。1993年5月16日、開幕戦の清水戦でJデビューし、8月19日の浦和戦で初ゴールを挙げます。FW前田、MF前園、エドゥーらが攻撃力を発揮できたのも自身の効率のよいプレーによるものでした。1994年元日の天皇杯でV川崎相手に大勝し初タイトルを獲得しました。
95シーズンより、現役ブラジル代表のFWエヴァイール、MFジーニョ、サンパイオが加入。そのシーズンこそ低迷しましたが、連携が深まった翌シーズンは優勝争いを繰り広げました。特に中盤の底でコンビを組むサンパイオは、自身に多大な影響を与えたのです。97シーズンは出場は少なかったものの、8月16日の鹿島戦でハットトリックを達成しました。
翌98シーズンの10月29日に所属する横浜Fの消滅が発表され、自身も含めたイレブンが奮起。残りのリーグ戦を全勝して2度目の天皇杯を手にしますが、消滅は免れませんでした。
その後GK楢崎と共に名古屋へ加入し、新たなスタートを切ります。その堅実なプレーですぐに不可欠の存在になり、レギュラーを獲得。自身3度目の天皇杯のタイトルを手にしました。
03シーズンからJ2の新潟へ移籍します。横浜F時代に共にプレーした反町監督が掲げるポゼッションサッカーの中心的存在となり、J1昇格に大きく貢献しました。
05シーズンに横浜FCに移籍。2年目は代表で苦楽を共にした高木監督、城、カズ、小村と共にJ2を制し、クラブ史上初のJ1昇格に貢献。監督より引退した城の後キャプテンを託されましたが、07シーズンいっぱいで現役を退いて解説者を務めています。

大学在学時のユニバーシアード代表選出を経験した後、1995年1月6日ナイジェリア戦でフル代表デビュー。かつて師事した加茂監督が代表監督を務めていたので、戦術を体現できる選手として不可欠な存在となります。2月のダイナスティ杯韓国戦で初ゴールを挙げました。
1998年W杯予選途中で恩師加茂監督の更迭があったものの、自らの立場は揺るがず全14試合に出場。1997年9月28日の本拠韓国戦でループシュートを決めました。残念ながら逆転負けに終わりましたが、今でも語り草となっています。
そして日本初のW杯出場を決めました。本大会は3戦全敗に終わりましたが、名波と共に中盤の要として全3試合フル出場を果たしました。
代表記録 58試合4得点
2007年1月19日:新規アップ 2012年3月17日更新