山口 蛍(Hotaru YAMAGUCHI) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | 山口 蛍(ヤマグチ ホタル) | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | 日本 | ||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | 三重県名張市 | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1990・6・10 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 173cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 72kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 右 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | MF(DMF) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | FK | ||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | クラブ | ||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | 2013・7・21 中国戦 |
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代表背番号 | 16 | ||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | 14年 18年 | ||||||||||||||||||||||||||||
ニックネーム | ホタル | ||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | 13,17Jリーグベストイレブン | ||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | 17天皇杯 | ||||||||||||||||||||||||||||
17ルヴァンカップ | |||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
09 セレッソ大阪(J2) 26 | 3 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
10 セレッソ大阪 26 | 2 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
11 セレッソ大阪 6 | 17 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
12 セレッソ大阪 6 | 30 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
13 セレッソ大阪 6 | 34 | 6 | |||||||||||||||||||||||||||
14 セレッソ大阪 6 | 19 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
15 セレッソ大阪(J2) 6 | 35 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
15/16 ハノーファー(ドイツ) 16 | 6 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
16 セレッソ大阪(J2) 41 | 20 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
17 セレッソ大阪 10 | 32 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
18 セレッソ大阪 10 | 33 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
19 ヴィッセル神戸 | |||||||||||||||||||||||||||||
フルタイム衰え知らずのスタミナでハードワークを遂行する守備的MF。ヘアスタイルを頻繁に変えるなど、外見にも強いこだわりを見せます。 三重県名張市に次男として生まれ、「明るい光を放ち続けられるように」蛍と命名されます。社会人選手として活躍する父親の影響を受け、小学3年でサッカーを始めます。 やがてクラブに入り、コーチに就任した父親との二人三脚で成長します。小学6年の時に京都のジュニアとの試合で得点を決めて勝利に貢献します。相手の監督からの勧めもあり京都、G大阪、C大阪のセレクションを受け、早い段階で合格通知を送ってきたC大阪に入ります。 U−15で中心選手として活躍してU−18昇格を決めたものの、サッカーから一時離れた期間がありました。それでもチームに戻り、個人が出資する「ハナサカクラブ」の後押しを受けてフィジカルを強靭にし、キャプテンも務めるなど選手としての総合力を上げました。 2009年10月18日愛媛戦でJ2、翌年7月27日清水戦でJ1にデビューします。11シーズンから出場機会が増え、本拠浦和戦で初得点を挙げてチームに勝利をもたらします。翌シーズンは30試合と主力に定着しますが、広島戦で一発レッドを受ける嫌な形で終わりました。 茂庭、扇原、柿谷といった面々とチームの根幹を支え、13シーズンは自己最高の34試合6得点で前年14位のチームを4位に躍進させ、リーグのベストイレブンに選ばれました。 しかし14シーズンはケガで精彩を欠き、チームもフォルランやカカウといったヨーロッパで実績を残した助っ人の力を生かせず17位でJ2降格となりました。15シーズンはコンスタントに出場して大分戦で勝ち越し点を挙げますが、福岡との昇格プレーオフに敗れました。 15/16シーズンに清武と酒井宏が在籍するハノーファーへ移籍。1月30日レヴァークーゼン戦でブンデスリーガにデビューしますが、わずか6試合に終わりました。 16シーズンにC大阪に戻り、J1復帰を決めます。翌シーズンは32試合でイエローを1枚にとどめ、月間ベスト得点となった仙台戦など2得点を挙げて2度目のベストイレブンになりました。ルヴァン杯は決勝で川崎Fを零封し、天皇杯も5試合戦って2冠を達成しました。 18シーズンも安定したプレーを披露しますが、神戸への移籍を決めています。 2010年アジア大会では7試合2得点で優勝します。2年後のロンドン五輪ではクラブの同僚扇原と中盤を形成して6試合にフル出場し、44年ぶりのベスト4進出に貢献しました。 2013年7月21日、東アジア杯の中国戦でフル代表にデビューします。全3試合質の高いプレーを見せて日本を初優勝に導き、大会MVPになりました。 この働きによって2014年W杯のメンバーに選ばれ、遠藤に代わって酷暑のコートジボワール戦やギリシャ戦で先発フル出場、効果的なプレッシングで存在感を示しました。2015年東アジア杯も3試合に出場し、韓国戦で初得点を決めました。 2018年W杯予選は13試合に出場、本拠イラク戦で決勝点を挙げるなど出場権獲得に貢献しました。本大会でも3試合に出場してベスト16に進出しました。 代表記録 2016年2月19日:新規アップ 2018年12月19日更新 |