アイイェグベニ・ヤクブ(Aiyegbeni YAKUBU)
フルネーム アイイェグベニ・ヤクブ
国籍 ナイジェリア  
出身地 ベニンシティ
生年月日 1982・11・22
身長 183cm
体重 82kg
利き足
ポジション FW(CF)
FK PK PK
キャプテン経験  
代表デビュー 2000・4・9
エリトリア戦
代表背番号
W杯メンバー 10年
ニックネーム ザ・ヤク
個人タイトル  
チームタイトル 00/01,01/02イスラエルリーグ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
98 ジュリウス・バーガー    
98/99 ジウ・ヴィセンテ(ポルトガル2部)    
99/00 ハポエル・べーア・シェヴァ(イスラエル) 23
00/01 マッカビ・ハイファ(イスラエル) 14
01/02 マッカビ・ハイファ(イスラエル) 22 13
02/03 マッカビ・ハイファ(イスラエル) 13
02/03 ポーツマス(イングランド2部) 20 14
03/04 ポーツマス(イングランド) 20 37 16
04/05 ポーツマス(イングランド) 20 30 13
05/06 ミドルスブラ(イングランド) 20 34 13
06/07 ミドルスブラ(イングランド) 20 37 12
07/08 ミドルスブラ(イングランド) 20
07/08 エヴァートン(イングランド) 22 28 15
08/09 エヴァートン(イングランド) 22 14
09/10 エヴァートン(イングランド) 22 25
10/11 エヴァートン(イングランド) 22 14
10/11 レスター(イングランド2部) 24 20 11
11/12 ブラックバーン(イングランド) 24 30 17
12 広州富力(中国) 25 14
13 広州富力(中国) 25 29 15
13/14 アル・ラーヤン(カタール) 27
14/15 レディング(イングランド2部) 20
15/16 カイセリスポル(トルコ) 24 12
16/17 コヴェントリー(イングランド3部)
マーカーを引きずる力強い突破から強烈なシュートを放ちます。波に乗ると手がつけられなくなる爆発力に、中央でもサイドでもプレーする戦術的な柔軟性もある本格派のFWです。

2部オコモ・オイルでキャリアを始め、名門J・バーガーを経て、M・ハイファへ引き抜かれます。しかし出番に恵まれずレンタルで経験を積み、23試合で6ゴールという結果を残します。
翌シーズンにM・ハイファに戻り、ベナユンらと共に国内リーグを連覇します。その後イングランドのダービーの練習に参加するも労働許可が下りず、移籍は実現しませんでした。迎えたチャンピオンズ・リーグ予備予選3回戦のS・グラーツ戦にて2ゴールを決め、イスラエルのクラブ史上初めての本選出場に貢献。1次リーグではオリンピアコス戦でハットトリックを決め、マンチェスター・U戦でもゴールを奪うなど、予備予選から8試合7ゴールと好成績を残しました。
この活躍によりシーズン途中にポーツマスへ移籍します。2戦目に初ゴールを挙げ、移籍が破談になったダービーからも2ゴールを挙げるなどチームを昇格に導きました。
03/04シーズン、アストン・ヴィラとの開幕戦でプレミアデビューします。元イングランド代表シェリンガムとの前線でチームを引っ張り、終盤には4戦連続、3戦連続ゴール、最終節ミドルスブラ戦では1試合4ゴールと怒涛のゴールラッシュを見せてプレミア残留に貢献しました。2年目も本拠フルハム戦のハットトリックや本拠マンチェスター・U戦など13ゴールを取りました。
05/06シーズンにミドルスブラへ移ります。ヴィドゥカやハッセルバインクと実績十分のCFが居並ぶ中、マンチェスター・Uやチェルシー、アーセナル相手にゴールを決めるなど、いずれもチーム最多の34試合13ゴールの成績を残します。UEFA杯ではアウェーのローマ戦でPKを決めるなど決勝に進みましたが、準決勝2ndレグと決勝ではプレーしませんでした。
07/08シーズンが開幕した後、クラブ最高金額でエヴァートンと5年契約を結びます。リーグの本拠フルハム戦、UEFA杯でもブラン戦でハットトリックを達成するなど、ケーヒルやアルテタらと共にチームをけん引します。しかし2年目のアキレス腱負傷以降はベンチスタートがメインになりました。4年目の途中に2部レスターへレンタルされて20試合に出場、古巣ミドルスブラ戦のハットトリックや終盤の3試合連続ゴールなど計11ゴールと復調をアピールしました。
11/12シーズンにブラックバーンと3年契約を結びます。スウォンジー戦での1試合4ゴール、マンチェスター・U、アーセナル、リヴァプール戦など4度の1試合2ゴールなどリーグ4位タイの17ゴールと破壊力を見せるものの、19位とチームの結果に結び付きませんでした。
12シーズンに中国へ渡り、7月15日広州恒大戦戦でのリーグデビューをゴールで飾ります。2年目は北京人和戦でハットトリックを決めるなど活躍しましたが、退団しました。
カタールでは8試合で終盤に2試合連続ゴールをマーク。レディングではノーゴールに終わり、チームも1勝6敗と散々な結果に終わりました。
カイセリスポルでは9月14日トラブゾンスポル戦でデビューしたリーグ戦こそ5連敗を喫し、自身も不発でしたが、国内カップのサルイエル戦でハットトリックを決めました。
その後コヴェントリーで3試合に出場、翌シーズンにフリーとなり引退しました。

2000年4月9日エリトリア戦にてフル代表デビュー。同年の五輪ではホンジュラスの初戦でゴールを挙げるなど3試合戦い、グループリーグを突破しました。
2002年アフリカ選手権にも出場し、3位決定戦ではゴールを挙げました。2004年アフリカ選手権の後は規律違反で代表から遠ざかり、2006年W杯予選も6試合2ゴールに終わりました。それでも2年後のアフリカ選手権では全4試合スタメン出場し、2ゴールを記録しました。
2010年W杯予選では8試合2ゴールと物足りない数字に終わりますが、本大会では3試合プレーして韓国からゴールを奪っています。
代表記録 55試合20得点

2015年3月5日:新規アップ 2017年11月23日更新