シャビ・アロンソ(XAVI ALONSO)
フルネーム シャビエル・アロンソ・オラーノ
国籍 スペイン
出身地 トロサ
生年月日 1981・11・25
身長 183cm
体重 75kg
利き足
ポジション MF(CMF)
FK PK FK PK
キャプテン経験  
代表デビュー 2003・4・30
エクアドル戦
代表背番号 14
W杯メンバー 06年 10年
14年
ニックネーム  
個人タイトル 11,12FIFA/FIFProベストイレブン
12UEFA欧州選手権ベストイレブン
チームタイトル 04/05UEFAチャンピオンズ・リーグ
05/06FAカップ
08,12UEFA欧州選手権
10FIFAワールドカップ
10/11,13/14コパ・デル・レイ
11/12リーガ・エスパニョーラ
13/14UEFAチャンピオンズ・リーグ
14/15〜16/17ブンデスリーガ
15/16DFBカップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
97/98 エイバル(2部) 38
98/99 レアル・ソシエダ 22
99/00 レアル・ソシエダ
99/00 レアル・ソシエダB(4部) 24
00/01 エイバル(2部) 14
00/01 レアル・ソシエダ 4 17
01/02 レアル・ソシエダ 4 30
02/03 レアル・ソシエダ 4 33
03/04 レアル・ソシエダ 4 35
04/05 リヴァプール(イングランド) 14 24
05/06 リヴァプール(イングランド) 14 35
06/07 リヴァプール(イングランド) 14 32
07/08 リヴァプール(イングランド) 14 19
08/09 リヴァプール(イングランド) 14 33
09/10 レアル・マドリー 22 34
10/11 レアル・マドリー 14 34
11/12 レアル・マドリー 14 36
12/13 レアル・マドリー 14 28
13/14 レアル・マドリー 14 26
14/15 バイエルン(ドイツ) 3 26
15/16 バイエルン(ドイツ) 3 26
16/17 バイエルン(ドイツ) 3 27
視野の広さと正確なボールコントロールに優れた戦術眼を持ち、糸を引くようなロングパス、リズムを作るショートパスで攻撃を組み立てるスペインを代表するゲームメーカーです。

21年前にR・ソシエダに優勝をもたらした元スペイン代表MFのペリコ・アロンソが父親と、共にプロ選手になる実兄のミケルの影響を受けて幼年期からサッカーを始めます。
R・ソシエダの下部組織に入り、1997年にエイバルへレンタル移籍しました。2部ではありましたが、多くの出場機会を得て実戦経験を積みます。そして2度目のエイバルへの移籍を経て、01/02シーズンからR・ソシエダに復帰してレギュラーに定着しました。
翌02/03シーズンにドゥヌエ監督の下でチームが躍進し、前半戦を首位で折り返します。自身が中盤の低い位置から繰り出す長短の正確なパスを、コヴァチェヴィッチとニハトの2トップがゴールへ結びつけたのです。また、優勝を争うR・マドリー相手に自らゴールを決めるなど最終節までデッドヒートは繰り広げられましたが、惜しくも2位に終わりました。
翌シーズンはチャンピオンズ・リーグで8試合プレーし、アウェーのガラタサライ戦では大会初ゴールも記録するなど初出場のチームを決勝トーナメントに導きます。しかし選手層が決して厚くないチームだったため国内リーグであおりを受け、15位でシーズンを終えました。
2004年、バレンシアをリーグ優勝に導いてリヴァプールに就任した同胞のベニテス監督に誘われ、8月29日ボルトン戦でプレミアにデビュー。足首を負傷して約3ヶ月戦列を離れましたが、チャンピオンズ・リーグでは決勝まで上り詰め、3点のビハインドから同点に追い付くゴールを決めます。そしてチームはPK戦の末勝利、クラブ21年ぶりの栄冠に貢献しました。
05/06シーズンのFA杯ルートン戦、翌シーズンの本拠ニューカッスル戦ではハーフウェーライン以後からロングシュートを決めるなど存在感を見せます。08/09シーズンにユヴェントスからオファーを受けるも残留。しかしイングランド代表バリーの入団の噂でベニテス監督との関係がこじれ、R・マドリーからの巨額のオファーを受けて5年ぶりに母国へ復帰します。
C・ロナウドやカカ、イグアインといった機動力に長けた前線に絶妙なパスを繰り出し、34試合に出場しました。2年目からグティの退団により愛用する14番に変え、2年連続で国内カップ、国内リーグと重要なタイトルを相次いで獲得。13/14シーズンのチャンピオンズ・リーグは累積警告で決勝こそ出られませんでしたが、苦戦した末のチームの歓喜を客席で見届けました。
14/15シーズンにクロースと入れ替わる形でバイエルンへ移り、8月30日シャルケ戦でブンデスリーガにデビューします。ラームとの中盤の位置からロッベンやレヴァンドフスキ、ミュラーといった前線への正確なパスでチャンスを作りました。16/17シーズンもライプツィヒとの両試合で1ゴール1アシストと経験の差を見せつけ、リーグ3連覇で有終の美を飾りました。

2003年4月30日エクアドル戦でスタメン出場して代表デビュー。チームも4−0と圧勝して好スタートを切ります。2004年欧州選手権に2試合出ましたが、早期敗退となりました。
2006年W杯予選は6試合出場。中盤の層が厚くレギュラー争いは激化しますが、メンバーに入ります。本大会では、グループリーグ1,2戦と決勝トーナメント初戦に出場し、初戦ウクライナ戦で先制点を挙げてチームに勢いをもたらしました。
2008年欧州選手権予選では7試合に出場しますが、本大会ではイニエスタ、セスク、シルバなどのバックアッパーとして1試合の出場にとどまりました。翌年のコンフェデ杯では4試合に出場し、3位決定戦で決勝点を挙げました。
2010年W杯予選では8試合プレーし、トルコ戦でPKを決めました。本大会では全7試合に先発、シャビやイニエスタらと極上のポゼッションを展開して初優勝に貢献しました。
2012年欧州選手権予選では6試合戦い、チェコからの勝ちを決定づけるゴールを決めます。本戦もフランスとの準々決勝で2ゴールを挙げて連覇を果たしました。
2014年W杯予選も4試合出場して引き続きシャビと共に攻撃の起点として機能、本大会ではブスケやコケと共にアンカーとなり、終了後に引退しました。
代表記録 113試合16得点

2006年2月15日:新規アップ 2017年7月14日更新