ジョナサン・ウッドゲイト(Jonathan WOODGATE)
フルネーム ジョナサン・シモン・ウッドゲイト
国籍 イングランド
出身地 ティーズサイド
生年月日 1980・1・22
身長 188cm
体重 92kg
利き足
ポジション DF(CB)
FK PK  
キャプテン経験 クラブ
代表デビュー 1999・6・9
ブルガリア戦
代表背番号  
W杯メンバー  
ニックネーム  
個人タイトル  
チームタイトル 07/08イングランドリーグ・カップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
98/99 リーズ 25
99/00 リーズ 6 34
00/01 リーズ 6 14
01/02 リーズ 6 13
02/03 リーズ 6 18
02/03 ニューカッスル 27 10
03/04 ニューカッスル 27 18
04/05 レアル・マドリー(スペイン) 18
05/06 レアル・マドリー(スペイン) 18
06/07 ミドルスブラ 8 30
07/08 ミドルスブラ 8 16
07/08 トッテナム 39 12
08/09 トッテナム 39 34
09/10 トッテナム 39
10/11 トッテナム 39
11/12 ストーク 39 17
12/13 ミドルスブラ(2部) 39 24
13/14 ミドルスブラ(2部) 39 25
14/15 ミドルスブラ(イングランド) 39    
素早く冷静に戦況を把握し、鋭い読みやポジショニング、空中戦に強いCB。MFの経験があり足元の技術も確かで、ロングパスで攻撃の起点となります。ケガに弱いのが難点です。

地元モートンでプレーし始め、13歳でリーズのユースに加入。当初はMFでましたが、DFとしての能力を開花させます。1997年のFAユース杯を制してトップに昇格します。
1998年10月17日ノッティンガム・F戦でオレアリー監督によりプレミアデビュー。すぐにレギュラーを獲得し、11月にはUEFA杯ローマ戦で欧州デビューを果たします。南アフリカ代表ラデベを手本にすると、年齢が近いリオ・ファーディナンドとも切磋琢磨しながら成長、主力として99/00シーズンのUEFA杯ベスト4、国内リーグ3位、00/01シーズンのチャンピオンズ・リーグベスト4(2次リーグでR・マドリーと対戦)など、チームの躍進に貢献しました。
その後クラブの財政難が表面化し、02/03シーズン途中に約19億円の移籍金でニューカッスルへ加入します。UEFA杯では準決勝に進みましたが、周囲との連係を築くことができず、ケガに悩まされたこともあり本来のパフォーマンスには程遠い出来に終始しました。
しかし資質を高く買われR・マドリーと4年契約を結びます。イエロ退団後のクラブにとって弱点だったポジションだけに、同時加入のサムエルと共に期待されます。しかしシーズン開幕直前に古傷の大腿部を故障し長期離脱を余儀無くされ、スペインリーグデビューは約1年後の2005年9月22日ビルバオ戦になります。しかしこの試合でオウンゴールを献上し、退場処分を受けるという苦難の立ち上がりとなります。しばらくは定評通りのプレーを見せるも再びケガで離脱し、シーズンわずか9試合の出場に終わりました。チャンピオンズ・リーグではグループリーグの本拠ローゼンボリ戦でゴールを挙げましたが、決勝トーナメント初戦で敗退しました。
06/07シーズン、イタリア代表DFカンナヴァーロの加入により母国のミドルスブラへレンタル移籍します。ここでキャプテンに就任するなど復活を遂げ、07/08シーズン途中にトッテナムへ移籍すると、リーグ杯決勝チェルシー戦のロスタイムにチームを9年振りのタイトル獲得に導く決勝ゴールを挙げました。また、その後リーグでもチェルシーからゴールを奪っています。
2年目は自己最多タイの出場を果たしますが、翌年以降ケガに悩まされ退団、MFパラシオス、FWクラウチと共にストークに移籍します。しかしフートとショウクロスの前にバックアッパーにとどまり、4年半ぶりにミドルスブラに復帰しています。

1999年6月9日の欧州選手権予選ブルガリア戦にて、キーガン監督により弱冠19歳で代表デビュー。U−21よりも早いフル代表での始動に次代のイングランドを担う逸材と期待を受けましたが、ボウヤーとの暴行事件が発覚したりケガしたりするなどしたため代表から遠ざかり、主要国際大会への出場は果たせていません。
代表記録
2008年7月11日:新規アップ 2014年8月17日更新