フスト・ビジャール(Justo VILLAR)
フルネーム フスト・ウィルマール・ビジャール・ビベロス
国籍 パラグアイ  
出身地 セリート
生年月日 1977・6・30
身長 180cm
体重 80kg
利き足
ポジション GK
FK PK  
キャプテン経験 代表
代表デビュー 1999・10・15
グアテマラ戦
代表背番号 1 12
W杯メンバー 02年 06年
10年
ニックネーム  
個人タイトル 04パラグアイ年間最優秀選手
13/14パラグアイリーグベストイレブン
チームタイトル 02,03,13パラグアイリーグ
04アルゼンチン前期リーグ
15/16チリリーグ
15/16チリカップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
96 ソル・デ・アメリカ 22
97 ソル・デ・アメリカ 19
98 ソル・デ・アメリカ 1 30
99 ソル・デ・アメリカ 1
00 ソル・デ・アメリカ 1 32
01 リベルタ 1 31
02 リベルタ 1 35
03 リベルタ 1 28
04 リベルタ 1 15
04/05 ニューウェルス(アルゼンチン) 1 38
05/06 ニューウェルス(アルゼンチン) 1 33
06/07 ニューウェルス(アルゼンチン) 1 34
07/08 ニューウェルス(アルゼンチン) 1 30
08/09 バジャドリー(スペイン) 13 15
09/10 バジャドリー(スペイン) 13 23
10/11 バジャドリー(スペイン2部) 1
11/12 エストゥディアンテス(アルゼンチン) 1
12/13 エストゥディアンテス(アルゼンチン) 1 14
13 ナシオナル 30 13
13/14 コロコロ(チリ) 1 29
14/15 コロコロ(チリ) 1 25
15/16 コロコロ(チリ) 1 23
16/17 コロコロ(チリ) 1 10
17 ナシオナル
キャッチング、ポジショニング、足元の技術など低身長のハンディを感じさせず、エベル・アルメイダ、R・フェルナンデス、J・L・チラベルの系譜を継ぐパラグアイ代表GKです。

アマのGKだった父親の影響を受けてサッカーを始めます。シュマイケル、チラベル、O・コルドバを目標に練習に励む一方、学校に通って建築設計を学びました。
ソル・デ・アメリカでプロデビューし、すぐに正GKを確保します。元名GKで自らのアイドルの一人でもあるアルメイダ監督の指導を受けて成長しました。
リベルタではリーグ連覇を達成。ニューウェルスでも前期の19試合を11失点に抑えてリーグ制覇の立役者となり、2004年のパラグアイ最優秀選手に選ばれました。
アルゼンチンで有数の存在になり、08/09シーズンにバジャドリーへ移籍。当初はアセンホの控えでしたが、12月7日オサスナ戦でリーガデビューし、15試合に出場。2年目は彼がA・マドリーに引き抜かれ、ヘタフェから復帰したハコボとの位置争いで23試合に出ます。しかし終盤のシェレス戦で退場し、チームも1部に残ったマラガとの勝ち点差1で降格しました。
アルゼンチンと母国ナシオナルで出場機会を得てチリのコロコロへ移籍します。1年目はリーグベスト11になり、3年目には国内2冠を達成するなど華々しい活躍を見せました。
17シーズンにナシオナルへ戻っています。

1997年Wユースは3試合戦いますが、スペインと日本の前に敗退しました。2002年W杯にも登録されましたが、チラベルの前に出場機会はありませんでした。
2006年W杯予選では偉大な前任者の後を継ぎ15試合ゴールを守りましたが、本大会では初戦の開始早々に負傷し、その後の試合を棒に振りました。
2010年W杯予選では17試合で12失点、本戦でもPKで日本に競り勝つなど5試合ゴールを守り、不動の守護神として母国初のベスト8進出に貢献しました。
コパ・アメリカは7回参加します。6試合に出た2011年は準優勝、ブラジル戦など3度の完封を見せてベストGKになりました。4試合に出た2015年は4位になりました。
2018年W杯予選はエクアドル、ブラジルと引き分け、アルゼンチンに勝って出場した3試合で勝ち点を稼ぐも敗退しました。本大会に臨む日本との試合を最後に退いています。
代表記録 120試合

2018年6月12日:新規アップ 2019年8月8日更新