ダビド・ビジャ(David VILLA)
フルネーム ダビド・ビジャ・サンチェス
国籍 スペイン
出身地 ラングレオ
生年月日 1981・12・3
身長 175cm
体重 69kg
利き足
ポジション FW(CF)
FK PK FK PK
キャプテン経験  
代表デビュー 2005・2・9
サンマリノ戦
代表背番号 7 21
W杯メンバー 06年 10年
14年
ニックネーム グアヘ=子供
個人タイトル 08UEFA欧州選手権得点王(4得点)
08UEFA欧州選手権ベストイレブン
10FIFAワールドカップ得点王(5得点)
10FIFA/FIFProベストイレブン
チームタイトル 03/04,07/08,11/12コパ・デル・レイ
08UEFA欧州選手権
10FIFAワールドカップ
10/11,12/13,13/14リーガ・エスパニョーラ
10/11UEFAチャンピオンズ・リーグ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
00/01 スポルティング・ヒホンB(3部) 35 13
00/01 スポルティング・ヒホン(2部) 32
01/02 スポルティング・ヒホン(2部) 11 40 18
02/03 スポルティング・ヒホン(2部 9 39 20
03/04 サラゴサ 20 38 17
04/05 サラゴサ 9 35 15
05/06 バレンシア 7 37 25
06/07 バレンシア 7 36 15
07/08 バレンシア 7 28 18
08/09 バレンシア 7 33 28
09/10 バレンシア 7 32 21
10/11 バルセロナ 7 34 18
11/12 バルセロナ 7 15
12/13 バルセロナ 7 28 10
13/14 アトレティコ・マドリー 9 36 13
14/15 メルボルン(オーストラリア) 9
15 ニューヨーク・シティ(アメリカ) 7 30 18
16 ニューヨーク・シティ(アメリカ) 7    
瞬発力、両足を使いこなす技術、ゴールへの嗅覚、さらにFKという飛び道具も備え、何より好不調の波が少なく2ケタゴールを計算できます。前線に張らず機動力を駆使するため、2トップやサイドに適性があります。エゴイスティックな面が少ないのも長所です。

10歳頃から地元でサッカーを始め、1999年にL・エンリケを輩出したS・ヒホンの下部組織に加入。01/02シーズンからエースとして活躍し、03/04シーズンにサラゴサへ移ります。
トップリーグデビューは開幕ゲームの2003年8月31日デポルティボ戦。以後全試合に出場、本拠セビージャ戦での1試合4ゴールなど、キャリア初の1部リーグながら17ゴールをマークして実力を証明すると、国内カップでもバルセロナとの準々決勝、R・マドリーとの決勝でゴールを挙げて優勝に貢献しました。翌シーズンにも3度の1試合2ゴールなど15ゴールを挙げ、UEFA杯でも10試合3ゴールと結果を残してバレンシアへ引き抜かれます。
オランダ代表クライファート、イタリア代表ディ・ヴァイオ、経験豊富なミスタなど強力なライバルの存在もありましたが、瞬く間にエースとなります。そしてバルセロナ戦での1試合2ゴール含め序盤に6試合連続ゴールを達成し、第34節ビルバオ戦では5分間でハットトリックを挙げるなど驚異的なペースでゴールを挙げ、26ゴールで得点王になったエトーに迫りました。
06/07シーズン、チャンピオンズ・リーグ予備予選ではザルツブルク戦でゴールを決めると、本選でも10試合で5ゴールを挙げます。決勝トーナメントではインテルとのアウェー戦でワールドクラスのFKを決めました。国内リーグではゴールの数自体は減ったものの、チーム最多の11アシストをマークするなど勝利に貢献し続けたことに変わりはありませんでした。
07/08シーズンは監督交代がありチームは低調でしたが、バレンシアでの100試合目となる第37節レバンテ戦でハットトリックなど降格圏内のチームを1部残留に導き、2度目の国内カップ制覇も果たしました。08/09シーズンはランク3位の28ゴールでチームをヨーロッパ・リーグに導き、翌シーズンの同大会ではブレーメン戦でハットトリックをマークしました。そしてリーガ166試合108ゴールの数字を残してメスタージャを後にしました。
10/11シーズンにバルセロナと4年契約を結びます。フル出場こそ少なかったものの、ホームのクラシコやアウェーのバルセロナダービーといった重要な試合で1試合2ゴールを挙げるなど通算18ゴールで自身初のリーグ優勝を経験。チャンピオンズ・リーグでも12試合戦い、マンチェスター・Uとの決勝など4ゴールを挙げて2冠を達成しました。2年目はリーグで5ゴール、チャンピオンズ・リーグで3ゴールを挙げましたが、クラブW杯アル・サッド戦で負傷してシーズンが終わりました。3年目は開幕戦で途中出場してゴールを決めるなど再びゴール数を2ケタに乗せますが、チャンピオンズ・リーグではミラン戦の1ゴールにとどまりました。
13/14シーズン、ファルカオが去ったA・マドリーへ新天地を求めます。国内リーグではD・コスタのパートナーとして如才ない働きでチーム13季ぶりの優勝に貢献しますが、2冠がかかったチャンピオンズ・リーグでは宿敵との決勝含む7試合でノーゴールと振るいませんでした。
2014年W杯の後にNY移籍が決まり、開幕までAリーグでプレー。同時加入のダフ、コレン、エンヘラールと実績十分のMFと共にチーム力の底上げを図りました。
2015年3月8日オーランド戦でMLSにデビューし、続く試合で初ゴール。プレースキックでもゴールを生み、夏からはランパードやピルロの後援を受けています。

フル代表デビューは2005年2月9日サンマリノ戦。2006年W杯予選ではプレーオフのスロヴァキア戦で代表初ゴールを挙げて出場権を獲得します。本大会でもウクライナ戦で2ゴールを挙げてチームに勢いをつけるなど4試合で3ゴールを挙げました。
2008年欧州選手権予選でも11試合に出場、チーム最多の7ゴールを挙げて出場権を獲得、その後の親善試合イタリア戦で左足ボレーを決め、好調を維持して本大会に臨みます。初戦のロシア戦では大会史上7人目、スペイン人初のハットトリックを決め、スウェーデン戦でも1ゴールを挙げました。準決勝ロシア戦でハムストリングを負傷したため決勝のピッチに立てませんでしたが、得点王に輝いて母国44年ぶりの戴冠に大きく貢献しました。
2009年コンフェデ杯では開幕から3戦連続ゴールを挙げましたが、アメリカに敗れました。そして2010年W杯予選では不振のF・トーレスの穴を埋めて7試合で7ゴールを挙げ、自身2度目の出場権を獲得します。本大会でも2戦目以降4戦連続ゴールを挙げ、その中で3つがチームを勝利に導くものとなり、スペインの初優勝に多大なる役割を果たしました。また、ウルグアイのフォルラン、オランダのスナイデル、ドイツのT・ミュラーと同数で得点王になりました。
2012年欧州選手権予選ではスコットランドとのアウェー戦で代表45ゴール目を決め、ラウールが持つ最多記録を塗り替えます。通算8試合7ゴールと素晴らしい結果を残しましたが、クラブW杯からの回復が間に合わず、本大会を棒に振りました。
2013年コンフェデ杯は控え組としてタヒチ戦でハットトリックを達成。2014年W杯予選はノーゴールに終わり、D・コスタの帰化もありましたが本戦へエントリーされます。そしてチームが敗退した後のオーストラリア相手のバックヒールで3大会連続ゴールを決めました。
代表記録

余談
・2009年2月のイングランドとのフレンドリーマッチでは、スペイン代表記録となる6試合連続ゴールを決めています。
・少年時代に事故に遭ったことで、左足も利き足同様の精度を身につけました。
2009年12月11日:新規アップ 2016年7月9日更新