アウレリオ・ヴィドマー(Aurelio VIDMAR) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | アウレリオ・ヴィドマー | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | オーストラリア | ||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | アデレード | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1967・2・3 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 183cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 84kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 右 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | MF(OMF) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | |||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | 代表 | ||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | 1991・1・30 チェコ・スロヴァキア戦 |
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代表背番号 | 10 19 | ||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | |||||||||||||||||||||||||||||
ニックネーム | |||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | 94オセアニア年間最優秀選手 | ||||||||||||||||||||||||||||
94/95ベルギーリーグ得点王 | |||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | 89オーストラリアカップ | ||||||||||||||||||||||||||||
95/96スイスカップ | |||||||||||||||||||||||||||||
00OFCネイションズ・カップ | |||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
85 アデレード・シティ | 10 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
86 アデレード・シティ | 26 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
87 アデレード・シティ | 23 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
88 アデレード・シティ | 22 | 5 | |||||||||||||||||||||||||||
89 アデレード・シティ | 25 | 5 | |||||||||||||||||||||||||||
89/90 アデレード・シティ | 23 | 9 | |||||||||||||||||||||||||||
90/91 アデレード・シティ | 28 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
91/92 コルトレイク(ベルギー) | 30 | 10 | |||||||||||||||||||||||||||
92/93 KSVワレヘム(ベルギー) | 32 | 18 | |||||||||||||||||||||||||||
93/94 KSVワレヘム(ベルギー) | 25 | 7 | |||||||||||||||||||||||||||
94/95 スタンダール・リエージュ(ベルギー) | 32 | 22 | |||||||||||||||||||||||||||
95/96 フェイエノールト(オランダ) | 15 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
95/96 シオン(スイス) | 14 | 7 | |||||||||||||||||||||||||||
96/97 テネリフェ(スペイン) 21 | 25 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
98 サンフレッチェ広島(日本) 7 | 15 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
99 サンフレッチェ広島(日本) 11 | 9 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
99/00 アデレード・フォース | 34 | 8 | |||||||||||||||||||||||||||
00/01 アデレード・フォース | 21 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
01 クロイドン・キングス(2部) | 3 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
01/02 アデレード・シティ・フォース | 23 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
02/03 アデレード・シティ・フォース | 32 | 6 | |||||||||||||||||||||||||||
03/04 アデレード・ユナイテッド | 27 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
キレ味鋭いドリブルを武器に1.5列目、または2列目からゴールを狙うオーストラリア代表アタッカー。3歳下の弟トニーも代表選手です。 地元アデレードにて85シーズンからプロ生活を始めます。2年目にはレギュラーに定着し、5年目には弟が台頭して国内カップを制しました。 91/92シーズンにベルギーリーグへ移籍します。低迷するチームで孤軍奮闘して2ケタ得点を挙げますが、2部降格が決まってKSVワレヘムに移ります。 23得点を挙げるオランダ代表FWクルーゼンとホットラインを形成し、10位だったチームを4位に引き上げました。しかし2年目は共に精彩を欠いて2度目の降格となりました。その後S・リエージュに引き抜かれ、ヴィルモッツとのコンビを形成、22得点で得点王に輝きました。 フェイエノールトでは、R・クーマンやファン・ブロンクホルスト、ラーションと一挙にレベルが上がり控えに甘んじたものの、スイスではチーム最多タイの7得点と役割を果たしました。 テネリフェでも存在感を発揮するには至らなかったものの、代表で師事したトムソン監督の要請を受けて広島へ移籍します。1998年7月25日京都戦でJリーグにデビューして8月22日福岡戦で初得点を挙げると、その後磐田とV川崎に連発して連勝に貢献しました。2年目の途中に母国リーグに復帰し、D・モリに次ぐ8得点を挙げました。 引退すると監督に転身し、アデレードやオーストラリアの各年代を指導しています。 1996年アトランタ五輪では3試合2得点と、ヴィドゥカとのホットラインを形成。翌年のコンフェデ杯では5試合戦い、キューウェルを加えた前線で準優勝しました。 2000年にオセアニアを制しますが、翌年のコンフェデ杯は1試合に終わりました。 代表記録 44試合17得点 2018年2月15日:新規アップ |