ネマニャ・ヴィディッチ(Nemanja VIDIC)
フルネーム ネマニャ・ヴィディッチ
国籍 セルビア
出身地 ウジツェ
生年月日 1981・10・21
身長 188cm
体重 83kg
利き足
ポジション DF(CB)
FK PK  
キャプテン経験 クラブ 代表
代表デビュー 2002・10・12
イタリア戦
代表背番号
W杯メンバー 06年 10年
ニックネーム ヴィダ
個人タイトル 05,08セルビア年間最優秀選手
07〜09,11プレミアリーグベストイレブン(PFA)
09,11プレミアリーグ年間最優秀選手(リーグ選定)
09,11FIFA/FIFProベストイレブン
チームタイトル 01/02ユーゴスラヴィアカップ
03/04セルビア・モンテネグロリーグ
03/04セルビア・モンテネグロカップ
04ロシアリーグ
04ロシアカップ
05/06,08/09,09/10イングランドリーグ・カップ
06/07〜08/09,10/11,12/13プレミアリーグ
07/08UEFAチャンピオンズ・リーグ
08FIFAクラブワールドカップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
00/01 スパルタク・スボチカ(2部) 27 6 
01/02 レッドスター 26 22
02/03 レッドスター 26 25
03/04 レッドスター 26 20
04 スパルタク・モスクワ(ロシア) 26 12
05 スパルタク・モスクワ(ロシア) 26 27
05/06 マンチェスター・ユナイテッド(イングランド) 15 11
06/07 マンチェスター・ユナイテッド(イングランド) 15 25
07/08 マンチェスター・ユナイテッド(イングランド) 15 32
08/09 マンチェスター・ユナイテッド(イングランド) 15 34
09/10 マンチェスター・ユナイテッド(イングランド) 15 24
10/11 マンチェスター・ユナイテッド(イングランド) 15 35
11/12 マンチェスター・ユナイテッド(イングランド) 15
12/13 マンチェスター・ユナイテッド(イングランド) 15 19
13/14 マンチェスター・ユナイテッド(イングランド) 15 25
14/15 インテル(イタリア) 15 23
高身長を活かして空中戦を制圧し、エリア内で高い壁を作ります。スピードに難があるものの、特徴である粘り強いマンマークはそれを感じさせず、常に相手にプレッシャーをかけます。

兄と共に地元クラブのウジツェでサッカーを学びます。14歳の時、かつて天才と呼ばれたサヴィチェヴィッチも在籍していた国内の名門レッドスターの下部組織に入ります。
プロデビューはレンタル先のクラブでしたが、復帰後の01/02シーズンにトップデビューし、2年目にはUEFA杯にも出場します。やがて主将となり最後のシーズンはUEFA杯オーデンセ戦で初得点、リーグでもDFながら5得点を挙げ、ダブルを置き土産にS・モスクワへ移ります。
ロシアリーグでも持ち前のフィジカルを前面に出したプレーで存在感を示しました。守備時は言うに及ばず攻撃面でもセットプレーで得点を挙げ、リーグでも有数のDFとなります。
この活躍でマンチェスター・Uのファーガソン監督が見初め、フィオレンティーナなど他クラブとの長い争奪戦の末に獲得します。05/06シーズン途中に加入し、2月1日ブラックバーン戦でプレミアデビューします。当初は環境やリズムになじめず、層の厚さもあり困難な状況が続きしますが、出場するごとに安定感を増し、W杯を経験した後の2年目はレギュラーに定着。リオとワールドクラスのCBコンビを形成し、4シーズンぶりのリーグ優勝に大きく貢献しました。
翌シーズンにはリーグ2連覇を達成すると、チャンピオンズ・リーグでも決勝チェルシー戦でマン・オブ・ザ・マッチに選ばれる働きを見せ、クラブに10年ぶりのビッグイヤーをもたらしました。
翌08/09シーズンは2枚のレッドをもらいながらも34試合に出場し、チェルシー戦など通算4得点を挙げると、本業の守備では14試合無失点というリーグ記録を打ち立て3連覇に貢献しました。チャンピオンズ・リーグでもインテル戦で得点を決めるなど準優勝となりました。また、クラブW杯でもG大阪相手に得点を決めるなど世界一の座に就きました。
その後ミラン、R・マドリー、バルセロナなどのオファーを固辞して5年契約を結び、負傷が多いリオの負担を減らします。10/11シーズンに腕章を託され、終盤のチェルシー戦で優勝を決定づける得点を決めました。13/14シーズンは国内リーグで25試合と持ち直し、チャンピオンズ・リーグでもバイエルンとの準々決勝1stレグでヘッドを決めました。
そして契約満了に伴いインテルへ移籍します。2014年8月31日、トリノ相手のセリエAデビュー戦でいきなりレッドを受けますが、ラノッキアやファンとの3バックを固定しました。1年目が終わった後にヘルニアの手術を受けて復帰を目指しましたが、引退を決意しています。

U−21でプレーしていた時にサヴィチェヴィッチ監督に招集され、2002年10月12日の欧州選手権予選イタリア戦でフル代表デビューしました。
2004年欧州選手権出場はなりませんでしたが、ペトコヴィッチ監督の就任以降出場機会が与えられ、2006年W杯予選は8試合に出場。予選での失点はわずかに1で、クルスタイッチ、ドラグティノヴィッチ、ガヴランチッチと組む4バックは「フェイマス・フォー」と呼ばれました。
本戦出場を決めたものの、予選最終戦のボスニア・H戦の後半に退場処分となり、グループリーグ初戦のオランダ戦は出場停止でした。さらに練習中にヒザを負傷しW杯でピッチに立つことはなく、その影響でチームも早期敗退となりました。
2008年欧州選手権予選は7試合のプレーも実らず本大会出場を逃します。しかし2010年W杯予選では8試合プレーし、2大会連続出場を果たしました。本大会ではドイツに勝ったものの2敗を喫し、またもグループリーグ突破はなりませんでした。
代表記録(セルビア・モンテネグロ) 19試合1得点
代表記録(セルビア) 35試合1得点

余談
・リヴァプール戦で熱くなる傾向があり、入団以来3枚以上レッドカードを受けています。
2006年9月2日:新規アップ 2016年1月29日更新