アルトゥーロ・ビダル(Arturo VIDAL)
フルネーム アルトゥーロ・エラスモ・ビダル・パルド
国籍 チリ
出身地 サンティアゴ
生年月日 1987・5・22
身長 180cm
体重 74kg
利き足
ポジション MF(CMF)
FK PK PK
キャプテン経験  
代表デビュー 2007・2・7
ベネズエラ戦
代表背番号
W杯メンバー 10年 14年
ニックネーム  
個人タイトル 10チリ年間最優秀選手
12/13,13/14セリエAベストイレブン
チームタイトル 06,07チリ前期リーグ
06チリ後期リーグ
11/12〜14/15セリエA
14/15コッパ・イタリア
15,16CONMEBOLコパ・アメリカ
15/16〜17/18ブンデスリーガ
15/16DFBカップ
18/19ラ・リーガ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
05 コロコロ
06 コロコロ 13
07 コロコロ 15
07/08 レヴァークーゼン(ドイツ) 23 24
08/09 レヴァークーゼン(ドイツ) 23 29
09/10 レヴァークーゼン(ドイツ) 23 31
10/11 レヴァークーゼン(ドイツ) 23 33 10
11/12 ユヴェントス(イタリア) 22 33
12/13 ユヴェントス(イタリア) 23 31 10
13/14 ユヴェントス(イタリア) 23 32 11
14/15 ユヴェントス(イタリア) 23 28
15/16 バイエルン(ドイツ) 23 30
16/17 バイエルン(ドイツ) 23 27
17/18 バイエルン(ドイツ) 23 22
18/19 バルセロナ(スペイン) 22 33
19/20 バルセロナ(スペイン) 22    
トップ下からSBまでこなすユーティリティ性と戦術眼、テクニックの持ち主で、状況に適したプレーができます。抑えの利いたミドルもありますが、激高しやすいのが難点です。

首都サンティアゴの中で労働者が多く居住するサン・ホアキンに生まれます。強豪コロコロの下部組織で成長し、19歳で迎えた05シーズンにプロデビューします。
2年目はコパ・スダメリカーナでゴールを挙げて準優勝になります。3年目にはリーグ戦でもゴールを挙げるなど結果を残し、チームもリーグ3連覇を達成しました。
国際舞台での活躍が元ドイツ代表FWルディ・フェラーの目に留まり、彼がディレクターを務めるレヴァークーゼンに引き抜かれます。2007年8月19日ハンブルガーSV戦でブンデスリーガにデビュー。ハノーファーとのアウェー戦で初ゴール、アシストも決めて勝利に貢献します。
2年目は先発に座ってカップ戦で2アシストを見せると、ブレーメンとのアウェー戦で先制点を挙げました。3年目はバイエルンとの両試合でゴールとアシストを決めるなどチームを4位に上げ、ヨーロッパリーグ出場権を獲得しました。4年目は10ゴール11アシストと自己最高の成績を残してクラブに7年ぶりのチャンピオンズ・リーグ出場権をもたらしました。
そしてユヴェントスに入団。2011年9月11日パルマ戦でのセリエAデビューをゴールで飾ると、フィオ、インテル、ナポリの3戦で2ゴール1アシスト、ローマ戦では1試合2ゴールと難しい相手から結果を残します。また、マルキージオとのハードワークでピルロの攻撃センスを引き出し、6年前にBに降格したクラブのスクデット奪還に不可欠の存在となりました。
2年目は国内スーパー杯でナポリ相手に1ゴール1アシストを挙げ、チームを勝利に導きます。国内リーグでは終盤のラツィオ戦での2ゴールを皮切りにミラン、トリノ、パレルモと4戦連発で2年ぶりの2ケタゴールに8アシストと数字を伸ばして連覇に貢献しました。チャンピオンズ・リーグではチェルシーとの2戦で連発するなどベスト8になりました。
3年目もラツィオ戦での2ゴール1アシストにインテルとの2戦2ゴール、ミラン戦でのジョヴィンコへのアシスト、ローマ戦での先制点と重要な試合で結果を出して3連覇を達成。チャンピオンズ・リーグではコペンハーゲン相手にハットトリックを決めるも3位に終わり、6試合に出場したヨーロッパリーグでもトラブゾンスポルとフィオレンティーナに連発しますが、準決勝でベンフィカに敗れて本拠地での決勝に進めませんでした。4年目はトリノダービーで1ゴール1アシスト、イタリアダービーでテベスの先制アシストなどで4連覇に貢献、ラツィオとの決勝を制した国内カップと合わせて2冠になりました。12試合戦ったチャンピオンズ・リーグはモナコとの準々決勝1stレグでPKを決め、R・マドリーに連勝してクラブ12年ぶりの決勝進出を果たしました。
15/16シーズンにバイエルンへ移ります。カップ戦最初の試合で1ゴール1アシストして優勝すると、8月14日ハンブルガー戦のブンデスリーガデビューから主力として4ゴール5アシストでダブルを達成。チャンピオンズ・リーグでも古巣ユヴェントスとのR162ndレグでコマンをおぜん立てし、ベンフィカとの準々決勝でゴールを挙げました。2年目はスーパー杯と国内カップで連発し、チャンピオンズ・リーグのアーセナル戦で2ゴールと、カップ戦で決定力を見せました。
3年目は序盤に監督交代があったものの、アウクスブルク戦で1ゴール1アシスト、フランクフルト戦の決勝ゴールなどクラブの6連覇に貢献しました。
18/19シーズン、31歳にしてバルセロナへ移籍します。8月18日アラベス戦でリーガデビューし、ホームのクラシコでは5点目を挙げて宿敵を完膚なきまでに打ちのめすなど、イタリア、ドイツ、スペインと3つのリーグで8連覇を達成しました。

2007年南米ユース選手権でプレー。その後U−20W杯では6試合プレーし、決勝トーナメントのポルトガル戦など2点を挙げてチームを3位に導きました。
フル代表デビューは2007年2月7日ベネズエラ戦。2010年W杯予選は11試合1ゴールで3大会ぶりの出場権を獲得し、大会でも4試合先発して決勝トーナメントに進みました。翌年のコパ・アメリカではメキシコ戦でゴールを挙げるなど3試合に出場し、ベスト8に進みました。
2014年W杯予選は11試合戦います。終盤の4試合連続などFWバルガスと並ぶチーム最多の5ゴールをマークして2大会連続で本戦にコマを進めます。そしてオーストラリアとスペインに連勝しますが、ブラジルにPK戦で敗れました。
2015年コパ・アメリカの大会中に飲酒運転で交通事故を起こして逮捕され、それまでに3ゴールを挙げた活躍を自ら台無しにします。それでも決勝など6試合に出場、PK戦の末アルゼンチンを下して地元での初優勝を達成しました。翌年の同大会では5試合プレーする中で3枚カードをもらいますが、ボリビア戦で2ゴール、メキシコ戦で2アシストします。再戦となったアルゼンチンとの決勝では最初のキッカーとして失敗しますが、相手のミスに助けられて連覇を果たしました。
2017年コンフェデ杯は5試合戦いカメルーン戦で先制、ドイツ戦でサンチェスを援護します。しかし大会2度目の対戦となるドイツとの決勝完封されました。
2018年W杯予選は15試合に出場して6点を取りますが、終盤のパラグアイ戦でオウンゴールを喫するなど5敗を喫して敗退しました。
2019年コパ・アメリカは2試合にとどまりました。
代表記録

余談
・背番号23はマイケル・ジョーダンにあやかっています。
2012年8月31日:新規アップ 2019年8月1日更新