ヴィトール・バイーア(VITOR BAIA)
フルネーム ヴィトール・マヌエル・マルティンス・バイーア
国籍 ポルトガル  
出身地 ポルト
生年月日 1969・10・15
身長 186cm
体重 78kg
利き足
ポジション GK
FK PK  
キャプテン経験 クラブ 代表
代表デビュー 1990・12・19
アメリカ戦
代表背番号
W杯メンバー 02年
ニックネーム  
個人タイトル 89,91ポルトガル年間最優秀選手
03/04UEFA最優秀GK
チームタイトル 90,92,93,95,96,99,03,04,06,07ポルトガルリーグ
91,94,00,03,06ポルトガルカップ
96/97UEFAカップウィナーズ・カップ
96/97,97/98コパ・デル・レイ
97/98リーガ・エスパニョーラ
02/03UEFAカップ
03/04UEFAチャンピオンズ・リーグ
04FIFAインターコンティネンタル・カップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
87/88 レサ
88/89 ポルト 15
89/90 ポルト 34
90/91 ポルト 38
91/92 ポルト 34
92/93 ポルト 34
93/94 ポルト 32
94/95 ポルト 33
95/96 ポルト 1 26
96/97 バルセロナ(スペイン) 1 37
97/98 バルセロナ(スペイン) 1
98/99 ポルト 99 16
99/00 ポルト 99 15
00/01 ポルト 99
01/02 ポルト 99 17
02/03 ポルト 99 25
03/04 ポルト 99 31
04/05 ポルト 99 31
05/06 ポルト 99 24
06/07 ポルト 99
コーチングや統率力に優れたポルトガル史屈指のGKで、チャンピオンズ・リーグ、UEFA杯、カップウィナーズ杯の欧州3冠を達成。端正な顔立ちもあり絶大な人気を誇ります。

少年時代はポルトのサポーターとして育ち、下部組織に加入します。16歳の時に腕に大ケガを負いますが、19歳でトップデビューにこぎつけます。ポーランド代表ムウィナルチクのケガで出番を得て正守護神に定着し、ジェラルドンやアロイージオといったブラジル代表勢やF・コウトと共に5度のリーグ優勝の原動力となり、1197分のリーグ出場記録を打ち立てました。
96/97シーズンにロブソン監督と共にバルセロナへ移籍。ポペスク、ナダル、ブランら多士済々なCB陣と連携してカップ2冠を達成。しかし2年目はヒザを痛めて退団しました。
復帰したポルトでも定位置をつかめず、00/01シーズンはケガで全休しました。しかしバルサ時代にロブソン監督の通訳を務めたモウリーニョ監督就任で流れが変わり、02/03シーズンの国内リーグ、国内カップ、UEFA杯の3冠を達成。03/04シーズンにはクラブ2度目のチャンピオンズ・リーグと国内リーグの2冠に輝き、UEFA最優秀GKに選ばれました。
05/06シーズンからはブラジル代表エウトンのバックアッパーに徹し、翌シーズン終了後に現役を引退してクラブのフロントに就いています。

1990年12月19日アメリカとの親善試合でフル代表デビューします。1992年欧州選手権予選は6試合を3失点で切り抜けますが、本大会出場はなりませんでした。続く1994年W杯予選は10試合に出ますが、イタリアに連敗して敗退しました。
1996年欧州選手権予選は9試合で7失点と苦しむも突破を果たします。本戦はデンマーク、トルコ、クロアチアと激戦区を突破しますが、チェコ戦でポボルスキに決勝点を許しました。7試合に出た1998年W杯予選はウクライナ戦の1失点の好守も実らず、敗退しました。
2000年欧州選手権予選は10試合で4失点に抑えます。本戦はイングランド相手に2点差をひっくり返し、ルーマニアとトルコを完封して3連勝しますが、優勝するフランス戦ではアンリに同点に追いつかれ、延長戦でジダンにPKを決められました。
予選を体調不良で回避した2002年W杯は3試合に出場。前評判は高かったものの、アメリカ戦はミスもあり敗れ、韓国戦も数的不利の末敗れてグループリーグで終わりました。
代表記録 80試合

余談
・98/99シーズンにポルトに復帰して以来背番号99にこだわりを持ち、出版した自伝のタイトルにもなっています。
2017年10月13日:新規アップ