ミカ・ヴァイリネン(Mika VAYRYNEN)
フルネーム ミカ・ヴァイリネン
国籍 フィンランド  
出身地
生年月日 1981・12・28
身長 177cm
体重 70kg
利き足
ポジション MF(CMF)
FK PK PK
キャプテン経験  
代表デビュー 2002・3・20
韓国戦
代表背番号  
W杯メンバー  
ニックネーム  
個人タイトル  
チームタイトル 05/06〜07/08エールディヴィジ
08/09KNVBカップ
12〜14フィンランドリーグ
14フィンランドカップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
99 ラハティ 15
00 ラハティ 8 21 10
01 ヨケリ 8 39
01/02 ヘーレンフェーン(オランダ) 8 18
02/03 ヘーレンフェーン(オランダ) 8 22
03/04 ヘーレンフェーン(オランダ) 8 32
04/05 ヘーレンフェーン(オランダ) 8 29
05/06 PSV(オランダ) 7 11
06/07 PSV(オランダ) 7 17
07/08 PSV(オランダ) 7
08/09 ヘーレンフェーン(オランダ) 6 17
09/10 ヘーレンフェーン(オランダ) 10 10
10/11 ヘーレンフェーン(オランダ) 10 30
11/12 リーズ(イングランド) 7 10
12 HJKヘルシンキ 16 12
13 HJKヘルシンキ 4
14 HJKヘルシンキ 4 25
15 ロサンゼルス・ギャラクシー(アメリカ) 3 19
16 HIFKヘルシンキ 23 14
17 HIFKヘルシンキ 23 26
18    
19    
ドリブル、パス、シュートと確かな技術と、ハードワークをいとわない利他的なメンタリティ、それらを支える運動量を備えた総合力の高いセンターハーフです。

スウェーデンに生まれ、1999年5月3日ヨケリ戦でプロデビューします。2年目に10得点と大活躍し、ヨケリでは自己最多の39試合に出場しました。
01/02シーズンにヘーレンフェーンへ移籍し、11月16日スパルタ戦でエールディヴィジにデビューします。同胞のMFヌルメラなど北欧の選手が多く在籍していたこともあり連携を確立し、2年目はエクセルシオール戦やフェイエノールト戦など4得点を挙げました。
3年目はPSV、アヤックス、NECと3試合連続でネットを揺らし、終盤にもローダ戦で決勝点と揺るぎない地位を確立しました。4年目はフェイエノールト戦など2度の1試合2得点を挙げ、フンテラールやギリシャ代表サマラスのFW陣に次ぐ8得点をマークしました。UEFA杯でも5試合戦ってベンフィカなどとのグループリーグを突破しました。
05/06シーズンにPSVに引き抜かれますが、コクーやベルギー代表シモンズなど層が厚く、足首のケガも重なってリーグ3連覇の中でも持ち味を発揮できませんでした。それでも2年目はチャンピオンズ・リーグで8試合に出場、ボルドー戦で決勝点を挙げました。
08/09シーズンにヘーレンフェーンに復帰。トゥベンテ戦は6失点して終了間際に退場と散々な結果になりましたが、復帰したウィレム戦でダメ押ししました。ヨーロッパリーグではミランやヴォルフスブルクなどに4連敗してグループリーグ敗退となりました。3年目はフェイエノールト戦からの3連発など素晴らしい結果を残し、チームの1部残留を置き土産に退団しました。リーズでは10試合出場、チームも14位と不本意な結果に終わりました。
12シーズンに母国へ戻り、復調した3年目にリーグ3連覇と国内2冠を達成しました。ロスではジェラードやロビー・キーンと同じチームでしたが、リーグ9位に終わりました。
17シーズンにHIFKに移籍し、国内カップで得点を挙げました。18シーズンを最後にフリーの状態が続いています。

2001年Wユースでは3試合出場してジャマイカ戦で決勝点を挙げますが、アルゼンチンとエジプトに負けてグループリーグで敗退しました。
2002年3月20日韓国戦でフル代表デビューし、タイニオらと中盤を組みます。欧州選手権予選は2004年から3大会で24試合2得点の成績を残しました。
2006年W杯予選は5試合に出場するもルーマニア戦で退場。2010年W杯予選はドイツ戦で1得点1アシストしますが、クローゼのハットトリックで勝てませんでした。
代表記録

※:エスキルステュナ(スウェーデン)
2018年12月12日:新規アップ 2019年8月10日更新