イヴィチャ・ヴァスティッチ(Ivica VASTIC)
フルネーム イヴィチャ・ヴァスティッチ
国籍 オーストリア  
出身地 スプリト(クロアチア)
生年月日 1969・9・29
身長 183cm
体重 81kg
利き足
ポジション FW(ST)
FK PK FK PK
キャプテン経験 クラブ
代表デビュー 1996・3・27
スイス戦
代表背番号
W杯メンバー 98年
ニックネーム  
個人タイトル 95/96,96/97,98/99,04/05オーストリアカップ
95,98,99,07オーストリア年間最優秀選手
97/98,98/99オーストリアリーグ
チームタイトル 95/96,99/00オーストリアリーグ得点王 
所属クラブおよび背番号 出場 得点
90/91 RNKスプリト(クロアチア3部) 22
91/92 ファースト・ウィーン 22
92/93 ザンクト・ペルテン 34 18
93/94 アドミラ・ヴァッカー 18
93/94 デュイスブルク(ドイツ) 10
94/95 シュトゥルム・グラーツ 35
95/96 シュトゥルム・グラーツ 10 31 20
96/97 シュトゥルム・グラーツ 10 33 13
97/98 シュトゥルム・グラーツ 10 30 14
98/99 シュトゥルム・グラーツ 10 30 14
99/00 シュトゥルム・グラーツ 10 35 31
00/01 シュトゥルム・グラーツ 10 24
01/02 シュトゥルム・グラーツ 10 32 17
02 名古屋グランパス(日本) 9 18 10
03 名古屋グランパス(日本) 9
03/04 オーストリア・ウィーン 9 35
04/05 オーストリア・ウィーン 9 32 10
05/06 LASKリンツ(2部) 9 31 19
06/07 LASKリンツ(2部) 9 31 23
07/08 LASKリンツ 9 32 13
08/09 LASKリンツ 7 29
卓越した技術によるボールキープでタメを作るだけでなく、プレースキックを含めた高い決定力で存在感を示すオーストリア史上屈指のストライカーです。

クロアチアのスプリト生まれ。RNKでキャリアをスタートさせ、St・ペルテンでは34試合で18ゴールと結果を残します。しかしその後のドイツへの挑戦は失敗に終わりました。
94/95シーズンにS・グラーツに加入。時を同じくして就任したオシム監督から信頼を受けます。2年目に20ゴールを決めて得点王に輝き、チームをリーグ優勝に導きました。
97/98シーズンもリーグを制して翌シーズンのチャンピオンズ・リーグにも出場。しかしインテル、R・マドリー、S・モスクワの前に勝ち点1でグループリーグ敗退となりました。
翌シーズンは35試合31ゴールと爆発的な破壊力を見せてリーグ連覇に貢献しました。この結果によって出場したチャンピオンズ・リーグでは、マルセイユとD・ザグレブから勝利を挙げました。その後UEFA杯に進みますが、3回戦でパルマに敗れました。
S・グラーツでコンスタントに働いた後に名古屋へ移籍。2002年7月13日市原(現千葉)戦でJデビューし、続くG大阪戦で早くも初ゴールを挙げます。エースのウェズレイと共にチームの牽引車として18試合で10ゴールと期待に応えましたが、2年目に低迷しました。
2003年5月18日仙台戦でのJリーグ通算8500ゴールを置き土産に退団し、母国に戻ります。ここで調子を取り戻して2度の得点王に輝き、チームの昇格に貢献します。これにより通算4度目の年間最優秀選手に選ばれ、代表復帰も果たすなど有終の美を飾りました。
引退後は指導者として再スタートを切っています。

1995年12月にオーストリアの市民権を得て、3ヶ月後のスイス戦でデビュー。ポルスターやヘルツォークと共に攻撃の中心的存在となります。2年後のW杯予選ではエストニア戦での1ゴールのみでしたが本大会では3試合に出場し、チリ戦でゴールを挙げました。
その後2002年W杯予選はノーゴール、2006年大会はわずか1ゴールで敗退するなど国際舞台から遠ざかります。しかし2008年に自国(スイスとの共催)で行われた欧州選手権メンバーに入り、ポーランド戦では母国の大会初ゴールをPKで決めました。
代表記録 50試合14得点

余談
・チャンピオンズ・リーグでは、R・マドリーとマンチェスター・Uからゴールを奪いました。
2018年8月23日:新規アップ