※1
フルネーム ※2
国籍 オランダ※3
出身地 アムステルダム
生年月日 1988・2・3
身長 172cm
体重 69kg
利き足
ポジション DF(RSB)
FK PK  
キャプテン経験  
代表デビュー 2009・2・11
チュニジア戦
代表背番号
W杯メンバー 10年
ニックネーム  
個人タイトル 09/10オランダ年間最優秀若手選手
チームタイトル 09/10オランダカップ
10/11,11/12エールディヴィジ
12/13~14/15リーグアン
13/14~15/16フランスリーグ・カップ
14/15,15/16フランスカップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
06/07 アヤックス 35
07/08 アヤックス 25
08/09 アヤックス 15 32
09/10 アヤックス 2 34
10/11 アヤックス 2 32
11/12 アヤックス 2 19
12/13 アヤックス 2
12/13 パリ・サンジェルマン(フランス) 23 22
13/14 パリ・サンジェルマン(フランス) 23 25
14/15 パリ・サンジェルマン(フランス) 23 25
15/16 パリ・サンジェルマン(フランス) 23 17
16/17 フェネルバフチェ(トルコ) 23 11
17/18 カリアリ(イタリア) 2
18 トロントFC(アメリカ) 9 27
19    
代表やバルセロナで活躍したミヒャエル・ライツィハーに似たタイプであり、持ち前のスピードとダイナミズム、精度の高いクロスでチームの推進力となる攻撃的右SBです。

首都アムステルダムで生まれ育ち、地元の強豪アヤックスへ。世界最高峰の誉れ高いこの育成組織で成長を遂げますが、2002年から3年間はハーレムに籍を移しました。
06/07シーズン終盤、2007年3月11日の第28節トゥベンテ戦にて19歳でエールディヴィジにデビューします。翌シーズンはスタムの現役引退もあり飛躍を期待されましたが、11月に負ったケガの影響もあり、リーグは6試合の出場にとどまりました。
3年目にファン・バステン監督が就任し、彼によりCBから右SBにコンバートされます。UEFA杯ではスラヴィア・P戦でオウンゴールという不運もありましたが、第25節ユトレヒト戦ではリーグ初ゴールをマークするなど32試合出場とブレイクを果たしました。
翌シーズンのヨル監督にも重用され34試合に出場します。前年のリーグ覇者AZやフェイエノールトとのオランダダービーと重要な局面でゴールを奪いました。国内カップでも決勝でフェイエノールトを破って初タイトルを獲得するなど国内最優秀若手選手に選ばれました。
翌シーズンはリーグ制覇を果たし、11/12シーズンは19試合と不調でしたがチームは連覇を達成。12/13シーズンのAZ戦でゴールを挙げた後、PSGに移籍します。
リーグアンのデビューは第6節バスティア戦となり、22試合に出場してリーグ優勝しましたが、4歳上のジャレとのポジション争いに敗れました。しかし2年目はブラン監督の信頼を得てレギュラーとしてリーグ連覇に貢献。チャンピオンズ・リーグでも6試合で4アシストし、アンデルレヒト戦ではイブラの1試合4ゴールのうち2ゴールに絡みました。
3年目はボルドー戦でレッドを受けますが、マルキーニョスやオーリエと競争して3冠を決めました。4年目も3冠になりますが、レギュラーを獲れず契約が満了しました。
その後のフェネルバフチェやレンタル移籍したカリアリでも不完全燃焼に終わりました。18シーズンにMLSへ活躍の場を求め、3月3日コロンバス・C戦でデビューしました。
その後はフリーエージェントになっています。

2007年のトゥーロン・トーナメント出場などユース代表で実績を残した後、2009年2月11日チュニジアとの親善試合でフル代表デビューを果たします。
2010年W杯予選は3試合の出場でしたが、クラブでの活躍により最年少で本大会のメンバー入りを果たし、日本戦など5試合フル出場して準優勝に貢献しました。
2012年欧州選手権予選も10試合、本戦も3試合とフル稼働しましたが、ドイツ、ポルトガル、デンマークとの激戦区にあってグループリーグ敗退に終わりました。
2016年欧州選手権予選は7試合に出場しますが、敗退しています。
代表記録

※1:グレゴリー・ファン・デル・ヴィール(Gregory VAN DER WIEL)
※2:グレゴリー・カートリー・ファン・デル・ヴィール
※3:キュラソー国籍もあり
2011年6月2日:新規アップ 2019年9月4日更新