アントニオ・バレンシア(Antonio VALENCIA)
フルネーム ルイス・アントニオ・バレンシア・モスケラ
国籍 エクアドル  
出身地 ラゴ・アグリオ
生年月日 1985・8・4
身長 181cm
体重 78kg
利き足
ポジション MF(RMF)
FK PK PK
キャプテン経験 クラブ 代表
代表デビュー 2005・3・27
パラグアイ戦
代表背番号 16
W杯メンバー 06年 14年
ニックネーム  
個人タイトル  
チームタイトル 09/10,16/17イングランドリーグ・カップ
10/11,12/13プレミアリーグ
15/16FAカップ
16/17UEFAヨーロッパリーグ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
04 ナシオナル    
05 ナシオナル    
05/06 ビジャレアル(スペイン) 20
05/06 レクレアティボ(スペイン2部) 14 12
06/07 ウィガン(イングランド) 16 22
07/08 ウィガン(イングランド) 16 31
08/09 ウィガン(イングランド) 16 31
09/10 マンチェスター・ユナイテッド(イングランド) 25 34
10/11 マンチェスター・ユナイテッド(イングランド) 25 10
11/12 マンチェスター・ユナイテッド(イングランド) 25 27
12/13 マンチェスター・ユナイテッド(イングランド) 7 30
13/14 マンチェスター・ユナイテッド(イングランド) 25 29
14/15 マンチェスター・ユナイテッド(イングランド) 25 32
15/16 マンチェスター・ユナイテッド(イングランド) 25 14
16/17 マンチェスター・ユナイテッド(イングランド) 25 28
17/18 マンチェスター・ユナイテッド(イングランド) 25 31
18/19 マンチェスター・ユナイテッド(イングランド) 25
19 LDUキト 25    
スピード豊かな突破と強烈なシュート、ピンポイントのクロスでWGからSBまでこなす右サイドのスペシャリスト。早い段階でフル代表に名を連ねるエクアドルのスターです。

C・ジュニアを経て、母国ナシオナルでプロのキャリアを始めます。05/06シーズンに19歳でビジャレアルと3年契約しますが、2部レクレアティボにレンタルに出されます。ここで12試合に出場し、スペイン最古の同クラブを4シーズンぶりの1部昇格に導きました。
06/07シーズンにはウィガンにレンタルされます。8月19日ニューカッスル戦でプレミアデビューすると、第9節マンチェスター・C戦で初ゴールを決めて勝利に貢献します。
2年目は開幕2戦目で決勝アシストします。冬に完全移籍になり、終盤のアストン・ヴィラ戦は2ゴールで独り舞台となりました。3年目はハル戦とブラックバーン戦で1ゴール1アシスト、マンチェスター・C戦では先制点、エヴァートン戦で決勝アシストと着実に順位を挙げました。
リヴァプールやR・マドリーも触手を伸ばす中、09/10シーズンにマンチェスター・Uと4年契約します。エヴァートン、ウェストハム、古巣ウィガン(2000年代プレミア最後のゴール)と3度の1ゴール1アシストなど計5ゴール7アシストをマークし、リーグ得点王になるルーニーに「彼無くして獲れなかった」と言わしめました。9試合に出場したチャンピオンズ・リーグでもC・モスクワに連発し、ミランやバイエルンに計3アシストと初の大舞台でも出色の働きを見せました。
2年目はコミュニティー・シールドで先制点を挙げて勝利と好スタートを切りますが、チャンピオンズ・リーグのレンジャーズ戦で左足首を負傷して半年間戦列を離れます。復帰するとエヴァートン戦でチチャリートへ決勝アシストし、チャンピオンズ・リーグでもシャルケとの準決勝2ndレグで1ゴール1アシストと卓越した働きを見せ、チームを決勝に導きました。
3年目は本拠ウルヴズ戦の3アシストから5連続アシスト、アーセナル戦など2度の1ゴール1アシスト、アウェーウルヴズ戦の1ゴール2アシストなどリーグ2位の13アシストしました。
この活躍により4年目は7番を背負いますが1ゴールに終わり、計5アシストで強豪との対戦はチェルシーとのアウェー戦の1アシストのみとなり、1年で返上しました。
6年目はリヴァプール戦で先制アシストして3-0の快勝に貢献。7年目は優勝するレスターに早々とマルシアルの先制点を演出しますが、追い付かれました。
8年目はムヒタリアンの加入もありモウリーニョ新監督により右SBに転向、コミュニティー・シールド、リーグのリヴァプール戦、レスター戦でイブラとのホットラインを築きました。
10年目にチーム最古参となり、引退したキャリックの後を継いで主将になります。しかしA・ヤングなどの前にわずか6試合に終わり、フリーでLDUキトへ移籍しています。

2005年3月27日、W杯予選パラグアイ戦でのフル代表デビューを2ゴールで飾り勝利に貢献。続くペルー戦でも1ゴールを挙げて右サイドのレギュラーに定着します。
翌年のW杯でも全4試合先発し、ポーランド戦でアシストしてグループリーグを突破。2007年コパ・アメリカではチリ戦でゴールしますが、グループリーグで姿を消しました。
2010年W杯予選は11試合に出場、一発退場のチリ戦他7枚の警告を受けますが、終盤に2連発して見せ場を作ります。しかしプレーオフを争うウルグアイに敗れて勝ち点1差で敗退しました。2011年コパ・アメリカはわずか1試合に終わりました。
2014年W杯予選は15試合に出場。アウェーのウルグアイ戦で終了間際に2枚目のカードを受けますが、ホーム戦と続くチリ戦と2連続アシストするなど予選4位で2大会ぶりの出場権を獲得しました。本大会では3試合に出ますが、フランス戦で退場処分を受けました。
2016年コパ・アメリカは4試合プレー。ペルー戦で反撃ののろしを上げるアシストを見せると、ハイチ戦ではダメ押しの4点目を決めました。
2018年W杯予選では12試合に出場。アルゼンチン戦でカイセドの追加点を演出して勝利すると、チリ戦でも1ゴール1アシスト、ボリビア戦でもビハインドを跳ね返すアシストと違いを出し続けますが、終盤に5連敗して8位で敗退しました。
2019年コパ・アメリカでは日本戦含め3試合に出場しました。
代表記録

2019年6月25日:新規アップ 2019年7月6日更新