宇佐美 貴史(Takashi USAMI) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | 宇佐美 貴史(ウサミ タカシ) | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | 日本 | ||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | 京都府長岡京市 | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1992・5・6 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 178cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 68kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 右 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | MF(LMF) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | FK PK | ||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | |||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | 2015・3・27 チュニジア戦 |
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代表背番号 | 11 | ||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | 18年 | ||||||||||||||||||||||||||||
ニックネーム | タカシ | ||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | 10Jリーグベストヤングプレーヤー賞 | ||||||||||||||||||||||||||||
14,15Jリーグベストイレブン | |||||||||||||||||||||||||||||
14ナビスコカップニューヒーロー賞 | |||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | 09,14,15天皇杯 | ||||||||||||||||||||||||||||
14Jリーグ | |||||||||||||||||||||||||||||
14ナビスコカップ | |||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
09 ガンバ大阪 33 | 3 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
10 ガンバ大阪 33 | 26 | 7 | |||||||||||||||||||||||||||
11 ガンバ大阪 11 | 14 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
11/12 バイエルン(ドイツ) 14 | 3 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
12/13 ホッフェンハイム(ドイツ) 33 | 20 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
13 ガンバ大阪(J2) 39 | 18 | 19 | |||||||||||||||||||||||||||
14 ガンバ大阪 39 | 26 | 10 | |||||||||||||||||||||||||||
15 ガンバ大阪 39 | 34 | 19 | |||||||||||||||||||||||||||
16 ガンバ大阪 39 | 17 | 5 | |||||||||||||||||||||||||||
16/17 アウクスブルク(ドイツ) 39 | 11 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
17/18 デュッセルドルフ(ドイツ2部) 33 | 28 | 8 | |||||||||||||||||||||||||||
18/19 デュッセルドルフ(ドイツ) 33 | 19 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
19/20 ガンバ大阪 | |||||||||||||||||||||||||||||
正確でスピーディーなドリブルで相手の守備を簡単にいなしてエリア付近に侵攻し、振りの早いシュートで確実にネットを射抜くG大阪下部組織のアタッカーです。 6歳で地元の長岡京FCに入団します。小学校高学年になると1試合7得点や7試合連続ハットトリックなど群を抜いた才能を示し、2004年まで在籍しました。 G大阪でも下部で結果を残し、2009年5月20日FCソウル戦で17歳14日とクラブ最年少のトップデビューを得点で飾りました。4日後の鹿島戦にてJ1にデビューしました。 10シーズンの本拠FC東京戦でJ1初得点を挙げ、ACLでも2連発と、遠藤、二川、韓国代表イ・グノとの攻撃陣で脚光を浴び、バイエルンへレンタルされます。 2011年8月13日ヴォルフスブルク戦でブンデスにデビューします。しかしリベリやロッベンの前にわずか3試合に終わり、リザーブでの6点に終わりました。その後にレンタルされたホッフェンハイムでも序盤の2得点のみと印象を残せませんでした。 13シーズン、J2に降格したG大阪に復帰し、最初の神戸戦など4度の1試合2得点、徳島戦の1試合4得点など実力の違いを見せてクラブを1年でJ1に戻します。 14シーズンも神戸との両試合の2得点など10得点を挙げると、天皇杯で4得点、ナビスコ杯で5得点を挙げてクラブ初の3冠に多大な貢献を果たしました。 15シーズンも甲府戦から松本戦まで6連発、山形戦のハットトリック、鹿島戦の2得点などキャリア最高の成績を残します。また、天皇杯で4得点を挙げて連覇しました。 16シーズンも浦和戦など3連発し、アウクスブルクへ移籍します。しかし出場機会が限られ、2部デュッセルドルフにレンタル移籍します。 ここではグロイターフュルト戦からの4連発など8得点を挙げてブンデスに昇格しました。その後自ら希望してレンタル期間を延長し、H・ベルリン戦で先制点、ドルトムント戦でアシストして勝利します。しかし最終的に1得点3アシストと物足りない数字に終わり、退団しました。 19シーズンにG大阪へ2度目の復帰となっています。 柴崎や杉本らと共に出場した2009年U−17W杯は3連敗しました。2012年トゥーロンで2得点を挙げて五輪につなげますが、4試合で不発に終わりました。 2015年3月27日チュニジア戦でフル代表デビューします。同年の東アジア杯は3試合で無得点に終わり、チームも2分1敗と精彩を欠きました。 10試合に出た2018年W杯予選はシリア戦で点を取りますが、終盤はプレーできませんでした。クラブで師事した西野監督への交代もあり2018年W杯メンバーに選ばれますが、セネガルとポーランド相手に決定的な場面はありませんでした。 代表記録 2019年3月26日:新規アップ 2019年6月24日更新 |