ウミト・ダヴァラ(Umit DAVALA) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | ウミト・ダヴァラ | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | トルコ | ||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | マンハイム(ドイツ) | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1973・7・30 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 186cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 74kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 右 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | MF(DMF) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | PK | ||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | |||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | 1996・4・9 アゼルバイジャン戦 |
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代表背番号 | 22 | ||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | 02年 | ||||||||||||||||||||||||||||
ニックネーム | |||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | |||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | 96/97,97/98,98/99,99/00トルコリーグ | ||||||||||||||||||||||||||||
98/99,99/00トルコカップ | |||||||||||||||||||||||||||||
99/00UEFAカップ | |||||||||||||||||||||||||||||
03/04ブンデスリーガ | |||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
94/95 イスタンブール・スポル | 0 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
95/96 イスタンブール・スポル | 5 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
96/97 ガラタサライ | 28 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
97/98 ガラタサライ | 15 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
98/99 ガラタサライ | 25 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
99/00 ガラタサライ | 28 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
00/01 ガラタサライ 22 | 26 | 5 | |||||||||||||||||||||||||||
01/02 ガラタサライ 22 | 3 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
01/02 ミラン(イタリア) 34 | 10 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
02/03 インテル(イタリア) | 0 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
02/03 ガラタサライ | 4 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
03/04 ブレーメン(ドイツ) 5 | 22 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
04/05 ブレーメン(ドイツ) 5 | 10 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
05/06 ブレーメン(ドイツ) 5 | 1 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
無尽蔵のスタミナで、スピード豊かな突破にパス出しも非凡なMF。主に中盤の底でプレーしますが、サイドやトップなど複数のポジションを高いレベルでプレーできます。 キャリアが始まったのは、イスタンブール・スポルからです。96/97シーズンより同じイスタンブールに本拠地がある強豪ガラタサライへ移籍してから頭角をあらわします。 さまざまなポジションで機能しリーグを4連覇するなど、MFハジやFWハカンと共にクラブの黄金時代の中心として活躍。99/00シーズンにはアーセナルをPK戦の末に下し、トルコ初のUEFA杯を獲得します。また、国内カップ決勝ベジクタシュ戦では2得点を決めました。 01/02シーズンの途中にガラタサライで師事したテリム監督率いるミランに移籍します。出場機会に恵まれず同じミラノのインテルに移籍しますが、ここでも不遇の時を過ごしました。 一度古巣に戻った後、再び国外リーグを志してドイツの強豪ブレーメンへ移籍します。ここでは司令塔ミクーを豊富な運動量でバックアップし、自らも得意の右サイドから突破からチャンスを演出するなどの活躍で、クラブ11年ぶりのリーグ優勝に貢献しました。 現役引退後は指導者になり、ユース代表などを指揮しています。 1996年4月9日アゼルバイジャン戦でフル代表デビューを果たします。2年後のW杯予選ではオランダとベルギーの前に出場はなりませんでした。しかし2000年欧州選手権本大会の出場メンバーに名を連ね、2試合戦ってベスト8進出を果たしました。 2002年W杯予選はプレーオフ含む9試合に出場。2001年3月28日マケドニア戦で勝ち越し点を挙げて48年ぶり2回目の出場に貢献。本大会でも全7試合に出場し、決勝トーナメント1回戦の日本戦でのヘディングシュートなど2得点を決めて3位に貢献しました。 2004年欧州選手権予選は4試合戦いましたが、敗退しています。 代表記録 41試合4得点 2007年1月4日:新規アップ 2012年8月19日更新 |