フルネーム アナトリー・オレクサンドロヴィチ・ティモシュク
国籍 ウクライナ  
出身地 ルツク
生年月日 1979・3・30
身長 183cm
体重 74kg
利き足
ポジション MF(DMF)
FK PK FK PK
キャプテン経験 クラブ 代表
代表デビュー 2000・4・26
ブルガリア戦
代表背番号
W杯メンバー 06年
ニックネーム  
個人タイトル 02,06,08ウクライナ年間最優秀選手
チームタイトル 00/01,01/02,03/04ウクライナカップ
01/02,04/05,05/06ウクライナリーグ
07,14/15ロシアリーグ
07/08UEFAカップ
09/10,12/13ブンデスリーガ
09/10,12/13DFBカップ
12/13UEFAチャンピオンズ・リーグ
13FIFAクラブワールドカップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
95/96 ヴォリン(2部) 10
96/97 ヴォリン(2部) 38
97/98 ヴォリン 14
97/98 シャフタール 4
98/99 シャフタール 4 18
99/00 シャフタール 4 23
00/01 シャフタール 4 25
01/02 シャフタール 4 26
02/03 シャフタール 4 30
03/04 シャフタール 4 28
04/05 シャフタール 4 25
05/06 シャフタール 4 27
06/07 シャフタール 4 15
07 ゼニト(ロシア) 44 29
08 ゼニト(ロシア) 44 27
09 ゼニト(ロシア) 44 11
09/10 バイエルン(ドイツ) 44 21
10/11 バイエルン(ドイツ) 44 26
11/12 バイエルン(ドイツ) 44 23
12/13 バイエルン(ドイツ) 44 16
13/14 ゼニト(ロシア) 44 22
14/15 ゼニト(ロシア) 44 11
15 カイラト(カザフスタン) 44 10
16 カイラト(カザフスタン) 44 24
危機察知力に裏付けされた位置取り、タックル、それを支える運動量で主導権を握ります。強力なミドルや高精度のパスなど攻守に加え精神面でも存在感を発揮します。

両親が陸上競技の選手であり、妹も後にウクライナのバスケットボールチームでキャプテンを務めるスポーツ一家に生まれます。14歳でD・キエフのユースに入り3年間過ごします。
1995年に地元ヴォリンでキャリアをスタートさせ、2シーズン目にレギュラーに定着しますが、18歳の時に迎えたプロ3年目の途中にシャフタールへ引き抜かれます。
ここで着実に出場機会を増やし、01/02シーズンのリーグ2冠など多くのタイトルを獲得。03/04シーズンからはキャプテンとして活躍し、同年のカップ戦決勝ドニプロ戦ではゴールを決めて3度目のタイトル獲得に貢献しました。チャンピオンズ・リーグではグループリーグ敗退が続いたものの、コンスタントに出場して大舞台での経験値を高めました。
ユヴェントスやローマも獲得を狙っていましたが、2007年にロシア歴代最高額でゼニトへ移籍します。3月18日ロストフ戦でリーグデビューしていきなり得点をマークし、キャプテンマークとPKキッカーを任されるなど瞬く間にチームの中心となります。そしてクラブのリーグ初優勝や6試合に出たUEFA杯、UEFAスーパー杯など多くの成功を手にしました。
2009年7月にバイエルンと3年契約を結び、8月8日ホッフェンハイム戦でブンデスリーガデビュー。ファン・ボメルやシュヴァインシュタイガーと層が厚く、守備的MFではなくCBとして起用されます。チャンピオンズ・リーグではユヴェントス戦で得点を決め、リヨン戦でロッベンをアシストしますが、インテルとの決勝戦で出番はなくチームも敗れました。2年目はフランクフルト戦で2得点を挙げました。4年目はJ・マルティネスの加入もあり出場機会が減少しました。
13/14シーズンにゼニトに復帰します。ヴィツェルに加え2年目はJ・ガルシアの加入もあってバックアッパーとしての役割に徹し、リーグを制しました。
15シーズンよりカザフスタンで戦い、2年目を最後に引退しています。

2000年4月26日ブルガリアとの親善試合で代表デビュー。2002年W杯予選は10試合、2004年欧州選手権予選は4試合に出場しますが、いずれも敗退しました。
2006年W杯予選では11試合に出場して母国の初出場に貢献、自身初のビッグトーナメントでも本大会でも5試合フル出場してベスト8に進出しました。
2008年欧州選手権予選は12試合、2010年W杯予選で11試合、2012年欧州選手権予選3試合、2014年W杯予選8試合とフル稼働も実りませんでした。2010年10月11日ブラジル戦では、3日前のカナダ戦でのシェフチェンコに次ぐ100キャップを達成しました。
2016年欧州選手権予選は加齢もあって5試合でしたが、2度目の出場権を得ます。本大会では1試合に出場、チームは3連敗して敗退しました。
代表記録 144試合4得点

余談
・趣味のひとつはイコン収集です。
※:アナトリー・ティモシュク(Anatoliy TYMOSCHUK)
2016年6月23日:新規アップ 2017年6月4日更新