イゴール・トゥドール(Igor TUDOR) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | イゴール・トゥドール | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | クロアチア | ||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | スプリト | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1978・4・16 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 193cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 90kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 右 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | DF(CB) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | |||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | 代表 | ||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | 1997・11・15 ウクライナ戦 |
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代表背番号 | 5 | ||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | 98年 06年 | ||||||||||||||||||||||||||||
ニックネーム | |||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | 01クロアチア年間最優秀選手 | ||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | 01/02,02/03セリエA | ||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
95/96 ハイデュク・スプリト | 9 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
96/97 ハイデュク・スプリト | 23 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
97/98 ハイデュク・スプリト | 26 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
98/99 ユヴェントス(イタリア) 19 | 23 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
99/00 ユヴェントス(イタリア) 28 | 17 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
00/01 ユヴェントス(イタリア) 5 | 25 | 6 | |||||||||||||||||||||||||||
01/02 ユヴェントス(イタリア) 5 | 14 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
02/03 ユヴェントス(イタリア) 5 | 14 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
03/04 ユヴェントス(イタリア) 5 | 15 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
04/05 ユヴェントス(イタリア) 5 | 2 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
04/05 シエナ(イタリア) 7 | 15 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
05/06 シエナ(イタリア) 7 | 24 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
06/07 ユヴェントス(イタリア2部) 5 | 0 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
07/08 ハイデュク・スプリト | 8 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
190cm超の長身でセットプレーから得点を挙げ、守備でも相手のクロスを跳ね返すCBです。正確なパスと的確な判断力に加え、守備的なポジションを幅広くこなす万能性も備えます。 地元H・スプリトにて17歳でプロキャリアをスタートさせ、20歳を迎えるころにはレギュラーポジションを獲得、得点力も見せつけてユヴェントスへの移籍を実現させます。1998年9月13日ペルージャ戦でセリエAにデビューすると、この試合で得点も挙げて勝利に貢献しました。 モンテーロ、フェラーラ、ユリアーノらと連携を深めた00/01シーズンには右SBとしてプレーしながらリーグで6得点。チャンピオンズ・リーグでも5試合プレーし、ハンブルガーSVから1得点を挙げます。翌シーズンには出場停止処分を受けたダーヴィッツの穴を埋める働きでスクデット獲得に役割を果たし、2001年のクロアチア年間最優秀選手にも選ばれました。 しかし以降は負傷がちになり、バックアッパーとしての日々が続きます。それでも02/03シーズンのチャンピオンズ・リーグでは11試合に出場し、2次リーグにてデポルティボから得点を挙げて熾烈な2位争いを制することに成功、決勝進出に貢献しました。 04/05シーズン途中にシエナへレンタル移籍します。ここで実戦感覚を取り戻して復調し、代表ではレギュラーに君臨し続けました。 06/07シーズン、Bに降格したユヴェントスに復帰しますがプレーすることはなく、クラブとの契約が満了したことにより9年過ごしたイタリアを後にして、古巣H・スプリトに復帰しました。しかしコンディション調整に苦心し、30歳の若さで現役に見切りをつけています。 ユース代表で実績を残し、1997年11月15日、W杯予選プレーオフのウクライナ戦でフル代表デビュー。本大会では日本戦含む3試合プレーし、初出場にして3位になりました。 2002年W杯予選では4試合プレーし2大会連続の出場権に貢献したものの、クラブの試合で右足首を負傷、手術を行ったため本大会を棒に振りました。 2004年欧州選手権では2試合に出場し、イングランド戦で得点を記録。2006年W杯予選では8試合2得点で母国に3大会連続の出場権をもたらし、本大会でも全3試合プレーしました。 代表記録 55試合3得点 2011年1月19日:新規アップ 2012年8月25日更新 |