土屋 征夫(Yukio TSUCHIYA)
フルネーム 土屋 征夫(ツチヤ ユキオ)
国籍 日本  
出身地 東京都
生年月日 1974・7・31
身長 177cm
体重 74kg
利き足
ポジション DF(CB)
FK PK  
キャプテン経験  
代表デビュー  
代表背番号  
W杯メンバー  
ニックネーム バウル
個人タイトル  
チームタイトル  
所属クラブおよび背番号 出場 得点
97 ヴェルディ川崎 41
98 ヴェルディ川崎 28 14
99 ヴィッセル神戸 4 27
00 ヴィッセル神戸 4 28
01 ヴィッセル神戸 17 28
02 ヴィッセル神戸 17 28
03 ヴィッセル神戸 17 22
04 ヴィッセル神戸 17 21
05 柏レイソル 17 30
06 大宮アルディージャ 17 31
07 東京ヴェルディ(J2) 17 40
08 東京ヴェルディ 17 33
09 東京ヴェルディ(J2) 17 34
10 東京ヴェルディ(J2) 17 35
11 東京ヴェルディ(J2) 17 35
12 東京ヴェルディ(J2) 17 31
13 ヴァンフォーレ甲府 41 22
14 ヴァンフォーレ甲府 41
15 ヴァンフォーレ甲府 41 22
16 ヴァンフォーレ甲府 41 20
17 ヴァンフォーレ甲府 41
17 京都サンガ(J2) 41
18 東京23(4部) 41    
19 東京23(4部) 41    
CBとしては身長が低いものの、スピードとジャンプ力、さらに鋭い読みとポジショニングの良さで安定した守備を見せます。闘争心も旺盛で、味方を鼓舞する場面もあります。

幼稚園時代からサッカーを始めます。小学2年時に千葉県から東京都文京区へ引っ越し、巣鴨にある三菱養和に通いました。中学になり順調にジュニアユースに上がったものの、2年時に武蔵境に引っ越し、田無工卒業までサッカーから離れた生活を送りました。
高校卒業後に単身ブラジルへ渡ります。3年以上のブランクがあったため身体づくりをメインに過ごし、1年の後半から試合に出場。ノロエスチ、インテルナシオナル・べべドウロ、バフェットスと3つのクラブでプレー。当時住んでいた街の名前「バウル」が愛称になりました。
1997年に帰国してV川崎(現東京V)のテストに合格し、2年間プレーしました。1999年に神戸に移籍してからはSBからCBにコンバートされて才能が開花しチームの主力としてプレー、その活躍ぶりに2001年には日本代表候補にも名前が挙がりました。
2005年に柏へ移籍。豊富な経験でチームを引っ張りますが、10月15日の浦和戦で相手FWの田中達に厳しいタックルを仕掛け、彼は負傷退場。右足関節脱臼骨折で全治およそ半年の重傷になります。自身も精神的なショックを受けて休養を取った時期もありました。
甲府との入れ替え戦に敗れたチームはJ2へ降格し、大宮へ移籍します。初めての埼玉ダービーとなった2006年4月29日浦和戦では熱烈なアウェーのサポーターからブーイングを受ける中、臆することなく左SBとしてスタメン出場。31試合に出場して健在振りをアピールしました。
07シーズンより古巣東京Vへ復帰。開幕戦でゴールを決めると勢いに乗って40試合に出場し、J1復帰に貢献。2年ぶりのJ1でも33試合奮闘するも1年でJ2に逆戻りします。
09シーズンはキャリア最多タイの4ゴールを挙げますが昇格に届きませんでした。川勝監督の下でも7位に終わり、後任の三浦監督の構想外となりました。
13シーズンに加入した甲府では柏相手のヘディングなど2節連続ゴールを決め、5年目の途中にJ2京都へ期限付き移籍しました。
18シーズンに東京23へ移っています。

2006年5月9日:新規アップ 2018年12月23日更新