ヴァシリス・ツァルタス(Vasilis TSIARTAS)
フルネーム ヴァシリオス・ツァルタス
国籍 ギリシャ  
出身地 アレクサンドレイア
生年月日 1972・11・12
身長 185cm
体重 78kg
利き足
ポジション MF(OMF)
FK PK FK PK
キャプテン経験 クラブ
代表デビュー 1994・8・27
サウジアラビア戦
代表背番号 10
W杯メンバー  
ニックネーム 魔術師
個人タイトル 95/96ギリシャリーグ得点王
96ギリシャ年間最優秀選手
チームタイトル 92/93,93/94ギリシャリーグ
95/96,01/02ギリシャカップ
04UEFA欧州選手権
所属クラブおよび背番号 出場 得点
88/89 ナウサ(2部)
89/90 ナウサ(2部) 24
90/91 ナウサ(3部) 23
91/92 ナウサ(2部) 33 13
92/93 ナウサ(2部)
92/93 AEKアテネ 15
93/94 AEKアテネ 22
94/95 AEKアテネ 28
95/96 AEKアテネ 33 26
96/97 セビージャ(スペイン) 10 32
97/98 セビージャ(スペイン) 10 34
98/99 セビージャ(スペイン2部) 10 40 18
99/00 セビージャ(スペイン) 10 33 10
00/01 AEKアテネ 10 27 14
01/02 AEKアテネ 10 24 16
02/03 AEKアテネ 10 21 11
03/04 AEKアテネ 10 26
04/05 1.FCケルン(ドイツ2部)
06/07 ペイライオス(2部)
魔術師と称される高度な技術をベースに、長短やダイレクトを織り交ぜたパスワークでリズムを作ります。また、左足のFKでゴールを襲うクラシカルな10番です。

地元アレクサンドリアでプレーを始めます。2部ナウサでは降格も経験するなど成績が安定しませんでしたが、92/93シーズンに国内強豪の一角AEKに引き抜かれます。
そして1年目からリーグを連覇し、3年目に28試合5得点と中盤の軸に成長してサラヴァコスやコスティスとFWをサポート、4年目にはジョージア代表ケツバイアも含め2ケタ得点者が4人出てリーグ2位となり、自身は26得点で得点王とMVPに輝いて飛躍を遂げました。
セビージャではアルメイダが後ろに控え、前線にもサルバがいたものの、20位に終わり降格します。しかし主将を託されるなど心技にわたって苦境に陥ったチームをけん引し、2年で1部に復帰しました。その後も10得点と健闘しましたが、チームは最下位に終わりました。
AEK復帰後もFWニコライディスと共に得点源となり、2年目には自身2度目の国内カップ制覇を果たしました。欧州の舞台では00/01シーズンのUEFA杯レヴァークーゼン戦で得点を取りました。翌シーズンは4試合戦い、ハイバーニアンとの両試合で3得点挙げましたが、続くインテル戦では不発に終わり、チームも1分1敗に終わりました。
02/03シーズンのチャンピオンズ・リーグでは、R・マドリー戦で得点を決めるなど両試合で3−3、2−2と打ち合いを演じ、ローマやヘンクも含めた全6試合を6分で終え1次リーグで敗退しました。翌シーズンはデポルティボとの初戦で点を取りますが、その後4連敗しました。
終盤にはドイツに渡り、1年ブランクを経て国内2部でキャリアを終えました。

1994年U−21欧州選手権に1試合出場し、同年8月27日サウジアラビア戦でフル代表デビュー。1996年欧州選手権予選は8試合1得点、1998年W杯予選は5試合、2000年欧州選手権予選は4試合2得点、2002年W杯予選は1試合出ますが、すべて敗退しました。
2004年欧州選手権予選は7試合に出場します。北アイルランドとの最終戦では母国24年ぶりの出場権を手繰り寄せるPKを決めました。本戦ではスーパーサブとして4試合戦い、スペインとチェコ戦でアシストして初優勝に貢献しました。
2005年コンフェデ杯は日本戦のみプレーし、2006年W杯予選は5試合に出てウクライナ戦で得点を挙げています。

代表記録 70試合12得点
2018年8月17日:新規アップ