トゥーレ・ヤヤ(TOURE YAYA)
フルネーム グネグネリ・ヤヤ・トゥーレ
国籍 コートジボワール
出身地 ブアケ
生年月日 1983・5・13
身長 189cm
体重 79kg
利き足
ポジション MF(CMF)
FK PK FK PK
キャプテン経験 クラブ 代表
代表デビュー 2004・4・28
ギニア戦
代表背番号 19
W杯メンバー 06年 10年
14年
ニックネーム ル・ロック=岩
個人タイトル 11〜14アフリカ年間最優秀選手(CAF)
13/14プレミアリーグベストイレブン(PFA)
チームタイトル 00,01コートジボワールリーグ
05/06ギリシャリーグ
05/06ギリシャカップ
08/09,09/10リーガ・エスパニョーラ
08/09コパ・デル・レイ
08/09UEFAチャンピオンズ・リーグ
09FIFAクラブワールドカップ
10/11FAカップ
11/12,13/14,17/18プレミアリーグ
13/14,17/18イングランドリーグ・カップ
15CAFアフリカネイションズ・カップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
01 ASECミモザ    
01/02 ベヴェレン(ベルギー) 2 28
02/03 ベヴェレン(ベルギー) 2 30
03/04 ベヴェレン(ベルギー) 2 12
03/04 メタルルフ・ドネツク(ウクライナ) 17 11
04/05 メタルルフ・ドネツク(ウクライナ) 17 22
05/06 オリンピアコス(ギリシャ) 15 20
06/07 モナコ(フランス) 15 27
07/08 バルセロナ(スペイン) 24 26
08/09 バルセロナ(スペイン) 24 25
09/10 バルセロナ(スペイン) 24 23
10/11 マンチェスター・シティ(イングランド) 42 35
11/12 マンチェスター・シティ(イングランド) 42 32
12/13 マンチェスター・シティ(イングランド) 42 32
13/14 マンチェスター・シティ(イングランド) 42 35 20
14/15 マンチェスター・シティ(イングランド) 42 29 10
15/16 マンチェスター・シティ(イングランド) 42 32
16/17 マンチェスター・シティ(イングランド) 42 25
17/18 マンチェスター・シティ(イングランド) 42 10
18/19 オリンピアコス(ギリシャ) 42
19 青島黄海(中国2部)    
抜群のフィジカルにスピードと力強さも兼備し、ボールを取った後はドリブルでの仕掛けや長短のパスで局面を打開します。そのプレーはフランスのヴィエラと比較されます。

1996年、ASECのユースチームに入団。2年後にベルギーのベヴェレンに移籍して定位置を確保。03/04シーズン途中にメタルルフに移籍し、FWである弟イブラヒムともプレー。UEFA杯予備選2回戦ではトルコのティラスポル相手に得点を挙げました。
チェルシー、ミラン、マンチェスター・U、リヨンなど強豪が獲得に動きますがオリンピアコスへ移り、19試合に出場してリヴァウドらと共に国内2冠を達成しました。初出場となったチャンピオンズ・リーグにもグループリーグ全6試合に先発、4連敗を喫して敗退しましたが、最終節ではR・マドリーとのホームゲームで勝利を収めました。また、ユーロスポーツが選出する最も有望な若手選手に、アルゼンチン代表マスチェラーノ、アグエロと共に選ばれました。
06/07シーズンにモナコへ加入し、8月27日スダン戦でリーグデビュー。監督交代もありチームは下位でしたが、27試合5得点7アシストで1部残留の原動力となりました。
07/08シーズンからはバルセロナへ。クラブ初のコートジボワール人プレーヤーとなり、同じく加入したアンリらと共に覇権奪回を狙い、登録名も「ヤヤ・トゥーレ」から変更しました。8月26日ラシン戦でリーガデビューすると、2戦目のビルバオ戦で移籍後初得点。また、チャンピオンズ・リーグの準々決勝シャルケとの2ndレグでも貴重な点を取り、ベスト4進出に貢献しました。ヘルニアの痛みに悩まされながらも26試合に出場、中盤に安定感をもたらしました。
1年目はリーグ覇権の奪還こそならなかったものの、2年目に加入したケイタの存在により負担が減ります。また、守備力向上に伴いCBを任され、攻撃でも国内カップ決勝で先制点を決めるなど3つのコンペティションで43試合に出場し、スペイン史上初の3冠に欠かせない存在となりました(チャンピオンズ・リーグを制した初めてのコートジボワール人選手となりました)。
しかし生え抜きのブスケが台頭し、10/11シーズンにマンチェスター・Cと5年契約を結んでコロと初めてチームメートになります。8月14日トッテナムとの開幕戦でプレミアデビューし、9月19日ウィガン戦での初得点やウェストハム相手の1試合2得点など、トップ下として自己最高の成績を収め、チャンピオンズ・リーグ出場権を獲ました。FA杯でもマンチェスター・ダービーとなった準決勝やストークとの決勝で得点を取り、クラブ42年ぶりの優勝に役割を見せました。
翌シーズンはチャンピオンズ・リーグでビジャレアルやバイエルンから3得点、ヨーロッパリーグではポルトガル勢相手に3アシストしました。リーグ戦では第37節ニューカッスルで2得点、最終節QPR戦でアシストと勝負所で仕事をして44年ぶりのリーグ優勝に貢献しました。
13/14シーズンもニューカッスルとの開幕戦で得点を挙げるなど4−0と好スタートを切ると、マンチェスター・ダービーの両試合でも得点を挙げて連勝の原動力となります。さらにフルハム戦ではハットトリックを達成するなどMFながらリーグ3位の20得点を挙げて2年ぶりにプレミアを制します。リーグ杯もサンダーランドとの決勝など3得点を見せて2冠に輝きました。
17/18シーズンの国内2冠を置き土産に8季過ごしたクラブを退団。13季ぶりのオリンピアコス復帰を経て中国へ渡っています。

2004年4月28日ギニア戦で代表デビュー。2006年アフリカ選手権には全試合出場しました。W杯予選は2試合のみでしたが、本大会では全3試合に出場しました。2008年アフリカ選手権では6試合1得点の成績を残してベスト4進出に貢献しました。
2010年W杯予選では7試合2得点で2大会連続出場。本大会ではブラジルとポルトガルの前にグループリーグ突破はなりませんでしたが、北朝鮮戦で大会初得点を決めました。
2010年アフリカ選手権は3試合で仕事ができませんでした。2年後は6試合戦い、ギニア戦でハットトリックのドログバと共に得点を挙げるも決勝でザンビアに敗れました。翌年はトーゴとチュニジアに2試合連続でネットを揺らすも決勝トーナメントでナイジェリアに敗れました。
2014年W杯予選は6試合で4得点を挙げます。本大会は負傷明けでトップフォームではなく、実弟の急逝もあり厳しい局面でしたが、3試合主将の重責を果たしました。
2015年アフリカ選手権では全6試合に先発し、ガーナとのPK戦でも5人目のキッカーとして成功させ、母国2度目のトロフィーを頭上に掲げました。
代表記録

2007年7月8日:新規アップ 2019年7月4日更新