徳永 悠平(Yuhei TOKUNAGA) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | 徳永 悠平(トクナガ ユウヘイ) | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | 日本 | ||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | 長崎県雲仙市 | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1983・9・25 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 180cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 77kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 右 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | DF(RSB) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | |||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | クラブ | ||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | 2009・10・8 香港戦 |
||||||||||||||||||||||||||||
代表背番号 | |||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | |||||||||||||||||||||||||||||
ニックネーム | ユウヘイ | ||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | |||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | 04,09ナビスコカップ | ||||||||||||||||||||||||||||
11天皇杯 | |||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
03 FC東京 32 | 8 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
04 FC東京 35 | 6 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
05 FC東京 | 0 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
06 FC東京 25 | 32 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
07 FC東京 25 | 33 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
08 FC東京 25 | 30 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
09 FC東京 25 | 34 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
10 FC東京 2 | 30 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
11 FC東京(J2) 2 | 37 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
12 FC東京 2 | 31 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
13 FC東京 2 | 34 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
14 FC東京 2 | 34 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
15 FC東京 2 | 33 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
16 FC東京 2 | 30 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
17 FC東京 22 | 24 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
18 V・ファーレン長崎 32 | 27 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
19 V・ファーレン長崎 32 | |||||||||||||||||||||||||||||
正確なクロスや縦への突破など右SBが本職ですが、頑強なフィジカルで1対1に強く、守備的なポジションを網羅するJ屈指のユーティリティプレーヤーです。 雲仙市出身。国見少年SC、国見中を経て国見高に進みます。2年でインターハイ、国体、選手権の3冠、3年では主将として全日本ユースと選手権の2冠と多くの栄光に浴しました。 早大では特別指定選手としてFC東京でプレー、2003年4月29日神戸戦でJ1にデビューし、リーグ戦通算14試合、ナビスコ杯でも6試合に出て優勝に立ち合いました。その後は主将として関東2部を制し、ユニバーシアードでも全試合に出場するなど実績を作りました。 06シーズンにFC東京に入ってプロのキャリアを始め、GK土肥、DF茂庭、MF今野らと守備を担います。10シーズンはイエロー6枚で降格しますが、翌シーズンは3得点を挙げて1年でJ1に復帰したほか、天皇杯を制しました。以降は森重や高橋秀との守備を盤石にし、15シーズンはイエロー5枚とキャリア2番目に多かったものの、チームの順位は最高の4位となりました。また、2012年と2016年にはACLにも参戦し、前者では蔚山から得点を挙げました。 18シーズン、J1に初昇格する故郷の長崎へ移籍しています。 2003年のWユースは準々決勝まで5試合に出場。2試合に出たアテネ五輪はグループリーグで敗退しました。2012年ロンドン五輪には左SBとして5試合出場し、共にオーバーエージで選ばれた吉田麻と最終ラインを安定させ、日本を44年ぶりのベスト4に導きました。 2009年10月8日香港戦でデビューし、4年後の東アジア杯は2試合出ました。 代表記録 2017年9月24日:新規アップ 2018年12月23日更新 |