イグリ・ターレ(Igli TARE) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | イグリ・ターレ | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | アルバニア | ||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | ヴロラ | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1973・7・25 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 191cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 89kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 右 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | FW(CF) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | |||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | 代表 | ||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | 1997・4・2 ドイツ戦 |
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代表背番号 | |||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | |||||||||||||||||||||||||||||
ニックネーム | |||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | |||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | |||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
93/94 パルティザニ・ティラナ | 14 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
94/95 マンハイム(ドイツ2部) | 23 | 5 | |||||||||||||||||||||||||||
95/96 ルートヴィヒスハーフェン(ドイツ4部) | 21 | 5 | |||||||||||||||||||||||||||
96/97 カールスルーエ(ドイツ) 28 | 8 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
97/98 デュッセルドルフ(ドイツ2部) 17 | 34 | 13 | |||||||||||||||||||||||||||
98/99 デュッセルドルフ(ドイツ2部) 17 | 20 | 11 | |||||||||||||||||||||||||||
99/00 カイザースラウテルン(ドイツ) 19 | 22 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
00/01 カイザースラウテルン(ドイツ) 19 | 4 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
00/01 ブレッシャ(イタリア) 27 | 17 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
01/02 ブレッシャ(イタリア) 21 | 25 | 5 | |||||||||||||||||||||||||||
02/03 ブレッシャ(イタリア) 21 | 33 | 6 | |||||||||||||||||||||||||||
03/04 ボローニャ(イタリア) 17 | 28 | 5 | |||||||||||||||||||||||||||
04/05 ボローニャ(イタリア) 9 | 26 | 5 | |||||||||||||||||||||||||||
05/06 ラツィオ(イタリア) 17 | 22 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
06/07 ラツィオ(イタリア) 17 | 14 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
07/08 ラツィオ(イタリア) 17 | 18 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
得点を量産するタイプではありませんが、その分長身を生かした空中戦やポストプレーで周囲の能力を引き出すアルバニア代表CFです。 9歳でP・ティラナの下部組織に入り、15歳でプロのキャリアを始めます。母国で1シーズン戦った後にドイツに渡り、下部のクラブを渡り歩きました。 96/97シーズンにカールスルーエに移籍しますが、結果を残せず2部デュッセルドルフへ。2シーズンで54試合24得点と結果を残し、1部カイザースラウテルンのオファーを受けます。 しかしジョルカエフやスウェーデン代表ペテルソンの陰に隠れ、翌シーズンもチェコ代表ロクヴェンツやクローゼの突き上げもあり、ほとんど出場機会を得られませんでした。 そしてブレッシャに新天地を求めます。01/02シーズンはトニの成長もあって厳しい局面になりますが、R・バッジョの能力を活かした立ち回りで3年連続でのA残留に貢献しました。 03/04シーズンはボローニャへ移り、ブレッシャに続きマッツォーネ監督のもとでプレー。シニョーリや冬に加入してきた中田英とAに残りますが、2年目に18位に終わり降格しました。 ラツィオではロッキやパンデフのバックアッパーを務め、07/08シーズンに引退。そのままチームに残ってディレクターに就任しています。 1997年4月2日、ドイツ戦で代表デビュー。W杯予選はこの試合を含め1998年は6試合1得点、2002年大会は8試合、2006年大会は11試合2得点となりました。 欧州選手権予選は、2000年から通算21試合4得点の成績を残しました。 代表記録 68試合10得点 2017年9月15日:新規アップ |