玉田 圭司(Keiji TAMADA)
フルネーム 玉田 圭司(タマダ ケイジ)
国籍 日本 玉田
出身地 千葉県浦安市
生年月日 1980・4・11
身長 173cm
体重 67kg
利き足
ポジション FW(ST)
FK PK FK PK
キャプテン経験  
代表デビュー 2004・3・31
シンガポール戦
代表背番号 9 11 20
W杯メンバー 06年 10年
ニックネーム タマ
個人タイトル  
チームタイトル 99ナビスコカップ
04AFCアジアカップ
10Jリーグ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
99 柏レイソル 28
00 柏レイソル 28
01 柏レイソル 28
02 柏レイソル 28 13
03 柏レイソル 28 28 11
04 柏レイソル 28 28 10
05 柏レイソル 28 28
06 名古屋グランパス 11 26
07 名古屋グランパス 11 14
08 名古屋グランパス 11 31
09 名古屋グランパス 11 27
10 名古屋グランパス 11 29 13
11 名古屋グランパス 11 33 14
12 名古屋グランパス 11 25
13 名古屋グランパス 11 31
14 名古屋グランパス 11 17
15 セレッソ大阪(J2) 20 33 10
16 セレッソ大阪(J2) 20 24
17 名古屋グランパス(J2) 28 28
18 名古屋グランパス 28 24
19 V・ファーレン長崎(J2)    
重心の低い、速さと巧さを兼ね備えたドリブルで仕掛けるFW。スピードを生かしてのサイドに流れてからのパスや左足のFKなど、多彩な攻撃スキルを備えています。

幼稚園の時に5歳年上の兄の影響を受けて入船少年SCでサッカーを始め、中学時には名門カネヅカFCに加入します。幼少時より一貫してFWとしてプレー。その後MF廣山やFW福田健などカネヅカから進む選手が多い習志野高に入学します。
1年からレギュラーとなって国体に3年連続出場を果たすと、3年時には高校選手権千葉大会決勝で市立船橋相手に決勝ゴールを挙げて母校を6年ぶりの本大会出場へ導きました。本大会では鹿児島工との1回戦でゴールを挙げたものの、試合には敗れました。
複数のクラブからオファーが舞い込みますが、強化指定選手として練習に参加していた柏への入団を決意し、1999年3月13日福岡戦でJリーグデビューを果たします。3年目までは思うようにプレーできませんでしたが、02シーズンからアウレリオ監督に評価されて出場機会を増やし、8月31日札幌戦でプロでの初ゴールを挙げました。
03シーズン開幕前、本来加入するはずのエヂウソンがチームに合流しなかったためレギュラーに定着すると、チーム最多の11ゴールをマーク。翌04シーズンも6月26日C大阪戦で初のハットトリックを挙げるなど活躍し、残留争いを繰り広げるチームをけん引しました。ところが翌シーズンは自身の不調と共にチームも低迷、入れ替え戦で敗れ無念の降格となりました。
これに伴い名古屋へ電撃的に完全移籍します。ケガの影響でまたも一ケタのゴール数に終わりましたが、09シーズンは8ゴールを挙げて復調の兆しを見せます。
10シーズンは開幕戦で点を挙げると、清水と浦和とのホームで1試合2ゴール、アウェー清水戦のハットトリックなど、得点王になったケネディの17ゴールに次ぐ13ゴールを挙げ、クラブに初のリーグタイトルをもたらします。翌シーズンは連覇を逃しますが、川崎と福岡相手の1試合2ゴールなど自己最高記録を更新する14ゴールと好成績を残しました。
13シーズンは序盤に3試合連続、中盤に5試合連続ゴールと固め取りを見せますが、チームの不調や自らのケガも重なり、3年連続でゴール数は2ケタを割り込みました。
15シーズンにJ2に降格したC大阪へ移籍し、3度の1試合2ゴールを決めます。福岡との昇格プレーオフで先制するも同点にされ、年間順位で福岡が上位だったため1年でのJ1復帰を逃しました。2年目は3ゴールでJ1復帰に貢献したとはいいがたく、契約が終わりました。
17シーズンに名古屋に復帰。佐藤寿との兼ね合いでベンチスタートが多かったものの、6ゴールすべてでチームに勝ち点3をもたらし、J1復帰に貢献しました。
しかし翌シーズンはジョーの加入もあって3ゴールに終わり通算11年過ごした名古屋を退団、J2長崎へ完全移籍しています。

2004年3月31日シンガポール戦にてフル代表デビューすると、続く親善試合ハンガリー戦で初ゴールをマークします。その後レギュラーに定着し、2004年アジア杯では全試合戦い、準決勝バーレーン戦で2ゴール、決勝中国戦でもダメ押しゴールを挙げて連覇に貢献しました。
2006年W杯予選は9試合でわずか1ゴールに終わりましたが、アジア杯の活躍により本大会メンバー入りを果たすと3戦目のブラジル戦でスタメン出場し、先制ゴールを奪いました。
2007年に就任した岡田監督により代表復帰し、親善試合のパラグアイ戦ではW杯以来のゴールを奪います。2010年W杯予選では12試合プレーし2大会連続の出場権をものにしますが、本戦では本田の1トップ起用に伴いサブに降格、2試合の途中出場に終わりました。
代表記録

2008年10月15日:新規アップ 2018年12月29日更新