高松 大樹(Daiki TAKAMATSU) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | 高松 大樹(タカマツ ダイキ) | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | 日本 | ||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | 山口県宇部市 | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1981・9・8 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 183cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 80kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 右 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | FW(CF) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | PK | ||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | クラブ | ||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | 2006・11・15 サウジアラビア戦 |
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代表背番号 | |||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | |||||||||||||||||||||||||||||
ニックネーム | |||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | |||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | 08ナビスコカップ | ||||||||||||||||||||||||||||
11天皇杯 | |||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
00 大分トリニータ(J2) 29 | 6 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
01 大分トリニータ(J2) 29 | 22 | 8 | |||||||||||||||||||||||||||
02 大分トリニータ(J2) 13 | 33 | 6 | |||||||||||||||||||||||||||
03 大分トリニータ 13 | 26 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
04 大分トリニータ 13 | 24 | 8 | |||||||||||||||||||||||||||
05 大分トリニータ 13 | 21 | 5 | |||||||||||||||||||||||||||
06 大分トリニータ 13 | 29 | 12 | |||||||||||||||||||||||||||
07 大分トリニータ 13 | 30 | 8 | |||||||||||||||||||||||||||
08 大分トリニータ 13 | 16 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
09 大分トリニータ 13 | 21 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
10 大分トリニータ(J2) 13 | 18 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
11 FC東京(J2) 30 | 5 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
12 大分トリニータ(J2) 13 | 32 | 5 | |||||||||||||||||||||||||||
13 大分トリニータ 13 | 28 | 5 | |||||||||||||||||||||||||||
14 大分トリニータ(J2) 13 | 24 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
15 大分トリニータ(J2) 13 | 22 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
16 大分トリニータ(J3) 13 | 8 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
柔軟な技術と強靭なフィジカルをベースに安定したポストプレーで周囲を生かすだけでなく、自らも鋭いターンからシュートを撃つ「ミスター・トリニータ」です。 小学3年の時にサッカーを始めます。当初はCBでしたが、多々良学園に進んでFWにコンバートされます。3年の時にインターハイと高校選手権に出場して存在感をアピールしました。 00シーズンに大分に入団して5月13日山形戦でJ2デビューし、2年目から多くの出番を得て3年目に昇格します。2003年3月23日仙台との開幕戦でJ1デビュー、G大阪戦で初得点を挙げました。04シーズンはM・アウヴェスや吉田孝、06シーズンは松橋章との攻撃で着実にJ1での順位を上げます。しかし07シーズンはケガで低迷、翌シーズンもリーグ戦は無得点と不本意な結果でしたが、ナビスコ杯決勝でヘッドを決めてクラブに初タイトルをもたらしました。 チームは清武、家長、金崎と若手が台頭しますが、慢性的な痛みによって本領発揮には至らず、09シーズンに7年間守ってきたJ1の座から陥落しました。その後キャリアで初めて他のクラブのユニフォームにそでを通したものの(FC東京へレンタル移籍)、ケガに泣きました。 12シーズンに大分に戻って村井とともに攻撃をけん引、ホームの鳥取戦で2得点をマークするなど32試合に出場してJ1復帰に貢献。J1でも浦和や鹿島などから5得点を挙げますが、1年で降格しました。14シーズン以降もケガの影響でベンチスタートが多く、クラブ初のJ3降格も経験しましたが、1年でのJ2復帰を見届けて引退。その後は政治家に転身しています。 2004年アテネ五輪では、大久保やオーバーエージの小野との攻撃で3試合出場。イタリア戦では終了間際に点を取りますが、序盤の失点が響いて敗れました。 2006年11月15日サウジアラビア戦でフル代表デビューしています。 代表記録 2試合 2017年3月8日:新規アップ |