鈴木 隆行(Takayuki SUZUKI) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | 鈴木 隆行(スズキ タカユキ) | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | 日本 | ||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | 茨城県日立市 | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1976・6・5 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 182cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 75kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 左 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | FW(CF) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | FK PK | ||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | |||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | 2001・4・25 スペイン戦 |
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代表背番号 | 11 14 22 | ||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | 02年 | ||||||||||||||||||||||||||||
ニックネーム | タカユキ | ||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | 00ナビスコカップニューヒーロー賞 | ||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | 00,01セカンドステージ | ||||||||||||||||||||||||||||
00,01Jリーグ | |||||||||||||||||||||||||||||
00ナビスコカップ | |||||||||||||||||||||||||||||
00/01天皇杯 | |||||||||||||||||||||||||||||
05/06セルビアリーグ | |||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
96 鹿島アントラーズ | 1 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
97 CFZ(ブラジル) | 21 | 7 | |||||||||||||||||||||||||||
98 鹿島アントラーズ 9 | 3 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
98 ジェフ市原 32 | 7 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
99 鹿島アントラーズ 9 | 1 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
00 川崎フロンターレ 8 | 11 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
00 鹿島アントラーズ 30 | 5 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
01 鹿島アントラーズ 30 | 26 | 6 | |||||||||||||||||||||||||||
02 鹿島アントラーズ 30 | 8 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
02/03 ゲンク(ベルギー) 30 | 19 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
03 鹿島アントラーズ 30 | 4 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
03/04 ゾルダー(ベルギー) 30 | 30 | 5 | |||||||||||||||||||||||||||
04 鹿島アントラーズ 30 | 14 | 5 | |||||||||||||||||||||||||||
05 鹿島アントラーズ 30 | 25 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
05/06 レッドスター(セルビア) 19 | 6 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
06/07 レッドスター(セルビア) 19 | 2 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
07 横浜F・マリノス 9 | 3 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
08 ポートランド・ティンバース(アメリカ2部) 30 | 26 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
09 ポートランド・ティンバース(アメリカ2部) 30 | 27 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
10 ポートランド・ティンバース(アメリカ2部) 30 | 24 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
11 水戸ホーリーホック(J2) 30 | 20 | 5 | |||||||||||||||||||||||||||
12 水戸ホーリーホック(J2) 30 | 36 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
13 水戸ホーリーホック(J2) 30 | 37 | 12 | |||||||||||||||||||||||||||
14 水戸ホーリーホック(J2) 30 | 33 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
15 ジェフ千葉(J2) 32 | 2 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
フィジカルが強いポストプレーヤーで、前線でタメを作り攻撃の起点となります。闘争心旺盛で、何度倒されてもすぐに立ち上がる精神力の強さも特徴です。 また、豊富な運動量でプレスを積極的に行うので守備面でも貢献できる選手です。 実業団のサッカー選手だった父親から指導を受け、小学校3年でサッカーチームに入団します。高校は日立工に進学。高校時代に国体選抜入りし、ベスト4進出を果たしました。 1996年に地元の鹿島に入団し、10月16日の柏戦でJデビュー。その1試合のみの出場に終わり、翌年はジーコ総監督が主宰するブラジルのサッカークラブ、CFZにレンタル移籍しました。21試合7得点とまずまずの結果を残し、テクニックも向上しました。1998年に鹿島に復帰し3月21日の福岡戦でJで初得点をマーク。その後市原(現千葉)や川崎Fなどにレンタル移籍を繰り返しますが、満足のいく結果を残すことはできませんでした。2000年8月に鹿島に復帰すると多くの出場機会を獲得し、天皇杯などのタイトルを手中にしました。 2002年W杯終了後、ゲンクやゾルダーとベルギーのクラブへ移籍します。ゲンク時代はチャンピオンズ・リーグにも出場しましたが、ソンクとダガノの2トップの壁は厚く、サイドでのプレーを余儀なくされました。そして04シーズンの2ndステージに鹿島に復帰します。9月18日磐田との試合ではキャリア初のハットトリックをマークしました。 2006年冬にセルビアのレッドスターへ移籍し、カップ戦の準決勝で得点を挙げた後、翌年に久保の穴を埋めるべく横浜FMに入団。しかし大島とのポジション争いに敗れ、アメリカに活躍の場を求めます。ここでは3年間プレーし、得点こそ少なかったものの多くの出番を得ました。 11シーズン、地元茨城の水戸と無報酬で契約。20試合5得点とまずまずの結果を残すと、2年目も36試合とタフネスぶりを発揮し、3年目に初の2ケタ得点を挙げました。15シーズンに鹿島時代の恩師関塚監督率いる千葉に復帰し、終了後に引退しました。 J1:108試合17得点 J2:128試合24得点 鹿島に復帰後、カップ戦などの活躍が認められ、2001年4月25日のスペイン戦でフル代表デビュー。コンフェデ杯ではカメルーン戦に先発出場して得点を挙げるなど3試合に出場。以後は高原や柳沢らとポジション争いを繰り広げながら代表に定着します。 2002年W杯にも選ばれベルギー戦に先発出場。先制を許した中、後半14分に小野のロングフィードを相手GKと交錯しながら右足つま先で押し込みました。1998年大会の中山以来、日本人2人目のW杯での得点者となり、日本のW杯初の勝ち点獲得に貢献しました。 ブランクの後、2004年のアジア杯でもヨルダンとの試合で得点を挙げて連覇に貢献。2006年W杯予選も前線の核となり9試合戦って3試合連続得点を挙げましたが、その後巻が台頭してきたこともあり、2大会連続出場はかないませんでした。 代表記録 55試合11得点 2015年12月18日更新 |