鈴木 秀人(Hideto SUZUKI) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | 鈴木 秀人(スズキ ヒデト) | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | 日本 | ||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | 静岡県浜松市 | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1974・10・7 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 180cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 70kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 右 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | DF(CB) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | |||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | クラブ | ||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | 1997・6・28 オマーン戦 |
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代表背番号 | 5 | ||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | |||||||||||||||||||||||||||||
ニックネーム | ヒデト | ||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | 02Jリーグベストイレブン | ||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | 97,02セカンドステージ | ||||||||||||||||||||||||||||
97,99,02Jリーグ | |||||||||||||||||||||||||||||
98,99,01,02ファーストステージ | |||||||||||||||||||||||||||||
98ナビスコカップ | |||||||||||||||||||||||||||||
98/99アジアクラブ選手権 | |||||||||||||||||||||||||||||
03/04天皇杯 | |||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
93 ジュビロ磐田(JFL) | 0 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
94 ジュビロ磐田 | 0 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
95 ジュビロ磐田 | 31 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
96 ジュビロ磐田 | 21 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
97 ジュビロ磐田 2 | 24 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
98 ジュビロ磐田 2 | 20 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
99 ジュビロ磐田 2 | 28 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
00 ジュビロ磐田 2 | 29 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
01 ジュビロ磐田 2 | 27 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
02 ジュビロ磐田 2 | 27 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
03 ジュビロ磐田 2 | 29 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
04 ジュビロ磐田 2 | 28 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
05 ジュビロ磐田 2 | 12 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
06 ジュビロ磐田 2 | 27 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
07 ジュビロ磐田 2 | 11 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
08 ジュビロ磐田 2 | 8 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
09 ジュビロ磐田 2 | 6 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
50mを6秒2で駆け抜ける俊足のDF。相手をマークする時や、抜かれてもすぐに追える体勢を整える時のスピードの早さ、そしてその中にも緩急をつけるクレバーさも持ち合わせています。 身体能力を武器とした粘り強いディフェンスにも定評があります。 静岡県浜松市生まれ。小学2年から市内では強豪である河輪少年団でサッカーを始めます。東陽中時代は市内大会でベスト8入りを果たします。 その後一般受験で進学した浜松商業高では、強豪である野球部が優先的にグラウンドを使っていたため、公園にあるサッカー場で練習していました。そのため全国大会に出場した経験がなく無名でしたが、自身はプロ入りを強く希望しました。教師のつてを頼りに高校3年の時ヤマハ発動機(現磐田)の入団テストを受けて合格し、練習生としてプレーすることになりました。 類まれなスピードが注目を集め、磐田に正式に入団。サテライトで鈴木政一監督の戦術指導を受けた後、トップチームの選手層が薄くなったことを受けて、1995年6月24日平塚(現湘南)戦でJデビューを果たしました。本来攻撃的MFのファネンブルグがリベロになるときもあり、勝矢や遠藤昌など日本代表クラスの選手がひしめく厳しい状況でしたが、たちまちレギュラーの座を確保しました。1996年4月27日、アウェーの清水戦でJ初ゴールをマークしています。 そして97シーズン、1stステージは後にブラジルやポルトガルを率いるフェリペ監督のもと6位に終わりましたが、2ndステージに初制覇を成し遂げ、ナビスコ杯でも準優勝となりました。 以降は黄金時代が到来、それとと同時に鹿島との「2強」時代の到来となり、互いにしのぎを削りました。途中で井原や大岩など強力なライバルが加入してきますが、存在感は揺るがず、田中誠と共に守備陣の中心選手として君臨しました。 05シーズンは度重なるケガのためにわずか12試合の出場に終わり、韓国代表キム・ジンキュの加入もあり苦しい立場に追い込まれます。いったん持ち直して07シーズンにはキャプテンに就任しますが、世代交代の波を受けて09シーズンを最後に引退しました。 J1りーぐ:328試合9得点 1996年アトランタ五輪代表の西野監督に召集され、28年ぶりの本大会出場を果たすと、松田、田中誠との3バックで3試合出場しました。1994年W杯優勝メンバーで、オーバーエージ枠で出場していたベベトを完封して勝利に貢献しました(マイアミの奇跡)。 フル代表デビューはW杯予選となる1997年6月28日のオマーン戦です。 代表記録 1試合 2007年1月29日:新規アップ 2012年3月1日更新 |