ネヴェン・スボティッチ(Neven SUBOTIC)
フルネーム ネヴェン・スボティッチ
国籍 セルビア
出身地
生年月日 1988・12・10
身長 193cm
体重 88kg
利き足
ポジション DF(CB)
FK PK  
キャプテン経験  
代表デビュー 2009・3・28
ルーマニア戦
代表背番号 20
W杯メンバー 10年
ニックネーム  
個人タイトル  
チームタイトル 10/11,11/12ブンデスリーガ
11/12DFBカップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
06/07 マインツ(ドイツ) 41
07/08 マインツ(ドイツ2部) 28 33
08/09 ドルトムント(ドイツ) 4 33
09/10 ドルトムント(ドイツ) 4 34
10/11 ドルトムント(ドイツ) 4 31
11/12 ドルトムント(ドイツ) 4 25
12/13 ドルトムント(ドイツ) 4 25
13/14 ドルトムント(ドイツ) 4 10
14/15 ドルトムント(ドイツ) 4 28
15/16 ドルトムント(ドイツ) 4
16/17 ドルトムント(ドイツ) 4
16/17 1.FCケルン(ドイツ) 2 12
17/18 ドルトムント(ドイツ) 4
17/18 サンテティエンヌ(フランス) 28 16
18/19 サンテティエンヌ(フランス) 28 26
19/20 ウニオン・ベルリン(ドイツ2部)    
サイズが物語る通り空中戦と対人プレーで無類の強さを誇り、足元の技術も兼備するCB。その資質の高さは、かつてR・マドリーで指揮を執った経験があるアンティッチ監督が同クラブのDFフェルナンド・イエロと比較するほどです。

ボスニア・Hに生まれますが、5歳でドイツへ移住します。2年後にTSVというクラブに入って練習に取り組みます。しかし在留期限が切れて11歳の時にアメリカへ渡りました。
当初はユタ州の州都ソルトレークに住んでいましたが、2年後にフロリダ州へ渡ります。ここの地元クラブで練習を再開し、州の大学選抜チームでプレーしました。
ユース代表でプレーしていたころに代理人と契約を結んで渡独、マインツの下部組織に身を置くことになります。そして4部リーグに在籍していたチームから06/07シーズンにトップへ昇格、リーグ最終節となる5月19日バイエルン戦でブンデスリーガにデビューします。
この試合に敗れて2部降格が決まりますが、多くの出場機会を獲得。国内きっての戦術家であるクロップ監督の徹底指導の下で大きく成長を遂げます。クラブの1部昇格はなりませんでしたが、自身は07/08シーズン終了後に監督と共にドルトムントへ移籍します。
シーズン開幕戦やコットブスとシャルケ戦での2節連続得点、本拠フランクフルト戦での2点など、33試合で6点と実質初めてのブンデスリーガで見事な結果を残します。前年に13位に沈んだクラブの6位躍進の原動力となり、2009年6月に5年契約を結びました。
守備でも大幅に失点を減らしてシャヒンや香川ら攻撃陣の能力を引き出し、10/11シーズンにクラブ9年ぶりの優勝に貢献。フンメルスとの連携が深まった翌シーズン以降もクラブ史上初の国内ダブル、12/13シーズンはチャンピオンズ・リーグ準優勝にリーグ2位と黄金期到来を感じさせる結果を残しました。14/15シーズンはチームこそ不調でしたが、自身は28試合と復調し、チャンピオンズ・リーグも7試合に出てグループリーグを突破しました。
16/17シーズンは前半でプレーできず、後半にケルンへレンタルされました。翌シーズンも前半の4試合にとどまり、フリーでサンテティエンヌへ移籍します。
2018年1月27日カーン戦でリーグアンにデビューし、レンヌとギャンガンに連発しました。2年目はアウェーのディジョン戦で決勝点を挙げて順位を7位から4位に上げました。
19/20シーズンにドイツへ戻っています。

2005年のU−17世界選手権ではアメリカ代表として4試合戦いますが、準々決勝オランダ戦の後半に退場処分を受け、チームも敗れました。
生まれ故郷のボスニア・H、アメリカ、ドイツで育ち、セルビアと4ヶ国から代表入りを求められる中、両親の祖国セルビア代表入りを2008年12月に決意、翌年3月28日ルーマニア戦でデビューします。2010年W杯予選はこの試合含め5試合、本大会は2試合戦いました。
2012年欧州選手権は8試合、2014年W杯予選は4試合プレーしましたが、イタリアやクロアチア、ベルギーの前にいずれも本大会行きはなりませんでした。
2016年欧州選手権予選は4試合に終わりました。
代表記録

※:バニャ・ルカ(ボスニア・ヘルツェゴヴィナ)
2011年5月2日:新規アップ 2019年7月21日更新