ダニエル・スターリッジ(Daniel STURRIDGE) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | ダニエル・アンドレ・スターリッジ | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | イングランド | ||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | バーミンガム | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1989・9・1 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 188cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 76kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 左 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | FW(CF) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | PK | ||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | |||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | 2011・10・15 スウェーデン戦 |
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代表背番号 | 9 15 | ||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | 14年 | ||||||||||||||||||||||||||||
ニックネーム | |||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | 13/14プレミアリーグベストイレブン(PFA) | ||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | 09/10プレミアリーグ | ||||||||||||||||||||||||||||
09/10,11/12FAカップ | |||||||||||||||||||||||||||||
11/12,18/19UEFAチャンピオンズ・リーグ | |||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
06/07 マンチェスター・シティ 36 | 2 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
07/08 マンチェスター・シティ 36 | 3 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
08/09 マンチェスター・シティ 28 | 16 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
09/10 チェルシー 23 | 13 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
10/11 チェルシー 23 | 13 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
10/11 ボルトン 15 | 12 | 8 | |||||||||||||||||||||||||||
11/12 チェルシー 23 | 30 | 11 | |||||||||||||||||||||||||||
12/13 チェルシー 23 | 7 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
12/13 リヴァプール 15 | 14 | 10 | |||||||||||||||||||||||||||
13/14 リヴァプール 15 | 29 | 22 | |||||||||||||||||||||||||||
14/15 リヴァプール 15 | 12 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
15/16 リヴァプール 15 | 14 | 8 | |||||||||||||||||||||||||||
16/17 リヴァプール 15 | 20 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
17/18 リヴァプール 15 | 9 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
17/18 WBA 15 | 6 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
18/19 リヴァプール 15 | 18 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
19/20 トラブゾンスポル(トルコ) | |||||||||||||||||||||||||||||
高度な技術と快足でカットインしてミドル、味方のパスに反応するダイレクトと、CFとWG双方でプレーします。ケガに弱いもののエゴが無く、チームプレーができます。 バーミンガム生まれ。ディーン、サイモンという叔父二人も元プロ選手という環境で成長します。アストン・ヴィラでプレーが始まり、コヴェントリーを経て2003年にマンチェスター・Cのアカデミーに移ります。FAユース杯では2006年大会に4ゴールを挙げ、リヴァプールとの決勝でも2ゴールと敗れはしますが出色の働きを見せ、06/07シーズンにトップに昇格します。 2007年2月3日レディング戦でプレミアデビューしますが、臀部の負傷もありトップでは出場機会に恵まれませんでした。2年目のリザーブでは、ユース杯最多のゴールでチームを決勝に導き、トップでもFA杯とプレミアでゴールをマーク、これは史上初の出来事となりました。 その後08/09シーズンに就任したヒューズ監督の下では、アーセナル戦など4ゴール3アシストと抜擢に応え、クラブの年間最優秀若手選手に選ばれました。 クラブとの契約を更新せず、09/10シーズンにチェルシーへ移ります。優勝したリーグでは13試合1ゴールに終わったものの、FA杯では4ゴールで国内2冠を達成しました。 翌シーズンのチャンピオンズ・リーグではジリナに2ゴールします。その後ボルトンへレンタルされ、最初の試合から4連発、ウェストハム戦で2ゴールと決定力を見せました。 最終節の古巣マンチェスター・C戦で退場し、11/12シーズンの開幕から3試合出場停止になりますが、復帰したサンダーランド戦でバックヒールを決めました。その後もボルトンから2ゴール1アシスト、リヴァプールやトッテナム戦など11ゴール5アシストしました。 12/13シーズン途中にリヴァプールへ。FA杯とリーグ戦で3連発し、チェルシー戦でゴールとアシスト、ニューカッスル戦で2ゴール1アシスト、フルハム戦でハットトリックしました。翌シーズンも開幕からマンチェスター・U戦含む4連発、マージーサイドダービーの両試合で3発を含むクラブ初の8連発と、スアレスとの2トップで自己最多の22ゴールを挙げました。 15/16シーズンはA・ヴィラから3ゴール、ストーク戦から4連発します。ヨーロッパリーグでもマンチェスター・U、ビジャレアル、セビージャからゴールしました。翌シーズンもリーグ杯で2度の1試合2ゴールを決めますが、ケガや補強でフル稼働できない状況が続きました。 17/18シーズンの冬にWBAへレンタル移籍しますが、不発に終わりました。復帰したリヴァプールでもサラー、マネ、フィルミーノの前に控えで終わりました。 19/20シーズンにトラブゾンスポルへ移籍しています。 U−16から各年代に名を連ね、イタリアとのU−17欧州選手権決勝でゴールを挙げます。U−19とU−21欧州選手権はいずれも3試合出場、後者でベスト11になりました。 2011年10月15日スウェーデン戦でフル代表デビューします。翌年はロンドン五輪で英国代表として4試合戦い、UAEとウルグアイ相手に連発しました。 2014年W杯予選は4試合2ゴール、本戦はイタリア戦で先制されるもすぐに追撃のゴールを挙げるも勝ち越されました。3試合1分2敗でグループリーグで敗退しました。 2016年欧州選手権は3試合に出場。ウェールズとの英国対決でヴァーディーの同点弾をアシストし、自身も終了間際に決勝ゴールを挙げました。 代表記録 2017年11月3日:新規アップ 2019年8月31日更新 |