フーブ・ステフェンス(Huub STEVENS)
フルネーム ウベルトゥス・ジョゼフ・マルガレータ・ステフェンス
国籍 オランダ  
出身地 シッタルト
生年月日 1953・11・29
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
経歴 1986〜93 PSVユース
1993〜96 2005〜07 ローダJC
1996〜02 2011〜12 2019〜19 シャルケ(ドイツ)
2002〜03 ヘルタ・ベルリン(ドイツ)
2004〜05 1.FCケルン(ドイツ)
2007〜08 ハンブルガーSV(ドイツ)
2008〜09 PSV
2009〜11 ザルツブルク(オーストリア)
2013〜14 PAOK(ギリシャ)
2014〜14 2014〜15 シュツットガルト(ドイツ)
2015〜16 ホッフェンハイム(ドイツ)
獲得タイトル 96/97UEFAカップ
00/01,01/02DFBカップ
09/10オーストリアリーグ
現役時代はインテリジェンスを備えたCBです。地元F・シッタートとPSVに在籍、後者では国内リーグや77/78シーズンのUEFA杯を制しました。
オランダ代表としては18試合1得点の成績を残し、1980年の欧州選手権に出場しました。

1990年代後半から2000年代初期のクラブ強化に大きく貢献し、「20世紀のクラブ最高の監督」に選ばれるなど、シャルカーから絶大な人気を誇る指導者です。
選手とのコミュニケーションを軸とした人心掌握で、低迷するチームを立て直す事を得意とします。手持ちの戦力をフル活用し、布陣も3バック、4バック共に使う柔軟性も備えています。

引退から1年後にPSVの下部組織を任され、トップチームのリーグ優勝5回という黄金期を陰ながら支えました。92/93シーズン途中にローダに就任し、3年目に2位になります。この結果4年目はUEFA杯に出ますが、2回戦でベンフィカに敗れました。限られた戦力と過密日程である中で国内リーグでも4位と結果を残しますが、5年目の途中に辞任しました。
そしてベルガー監督の後任としてシャルケに就任します。国内リーグは極度の得点力不足に苦しみ2ケタ順位に終わったものの、UEFA杯では決勝でインテルをPK戦の末に下し、クラブに初の国際タイトルをもたらしました。2年目は古巣PSVからアイケルカンプを呼ぶものの期待外れに終わるなど得点力不足は解消しませんでしたが、リーグ最少失点で5位になりました。UEFA杯では準々決勝でインテルの雪辱を許しました。3年目は堅守を支えたGKレーマンとCBリンケを引き抜かれたことが響いて10位に沈みました。5年目はヴィルモッツが去ったトップ下に宿敵ドルトムントからメラーを補てん、サンドとE・ムペンザとの三角形は猛威を振るい、覇権を争うバイエルン戦で2連勝しますが、最終節を前に2位になります。勝ち点3差で迎えた最終節は先にウンターハヒンクを5−3で破って首位になり、バイエルン対ハンブルガー戦の結果を待ちますが、P・アンデションの同点FKにより43年ぶりの優勝を逃しました。それでもリーグ最多の65得点、最少の35失点に加え、29年ぶりの国内カップ制覇と素晴らしい戦いを披露しました。6年目は国内カップを連覇しますが、初出場のチャンピオンズ・リーグはグループリーグ、国内リーグも5位に終わって退任しました。
02/03シーズンにH・ベルリンに就任します。マルセリーニョは依然として好調でしたが、FWルイゾンがフィットせずUEFA杯出場権を確保するのが精いっぱいとなりました。
04/05シーズンに2部ケルンに就任。ポドルスキの目覚ましい活躍もあり、1年での1部復帰を果たしました。2期目のローダでは8位、6位と平凡な成績に終わりました。
06/07シーズン途中にハンブルガーの再建を託され、ファン・デル・ファールトを軸に7位に導きました。2年目もこのエースの活躍で4位とUEFA杯出場権を獲得して退任しました。
08/09シーズンに古巣PSVのトップチームを率いますが、主力との確執でチームが低迷して途中で辞任しました。その後のザルツブルクは1年目にリーグを制しました。
11/12シーズン途中にシャルケに戻り、フンテラールとラウールの2トップ、ファルファンなどの攻撃陣の活躍もあって3位になりました。2年目もチャンピオンズ・リーグで早々にグループリーグ突破を決めますが、国内リーグは中断を前に勝てなくなり更迭されました。
13/14シーズンのPAOKでも途中まで2位だった前年同様の成績を残しますが、終盤になってシュツットガルトに就任して1部残留を果たします。その後フェー監督の下で低迷したチームに復帰してFWギンチェクの成長を促し、再びチームを1部残留に導きました。
15/16シーズンの途中にホッフェンハイムに就任しますが、健康上の理由により3ヶ月で退任し、監督業からも一度引退しました。
しかし18/19シーズン、テデスコ監督の下で低迷するシャルケの暫定監督になります。しかし9試合で2勝4分3敗と順位を一つしか上げられませんでした。

2016年5月18日:新規アップ 2019年6月8日更新

96/97シャルケ(UEFA杯優勝)
  マックス  
ネメツ ヴィルモッツ
ビュスケンス アウゲンラウホ
A・ミュラー ラータル
リンケ デ・コック
  トーン  
  レーマン  

00/01シャルケ(リーグ2位、国内カップ優勝)
E・ムペンザ サンド
  メラー  
ベーメ G・アサモア
ネメツ ファン・ホーフダレム
V・ケルクホーフェン ハイト
  ヴァウドフ  
  レック  

01/02シャルケ(国内カップ優勝)
E・ムペンザ サンド
  メラー  
ベーメ G・アサモア
アウデ・カンプハイス ヴィルモッツ
V・ケルクホーフェン ファン・ホーフダレム
  ヴァウドフ  
  レック  

02/03H・ベルリン
  プレーツ  
ゴール カルヴァン
  マルセリーニョ  
バインリヒ ダルダイ
ハートマン フリートリヒ
シムニッチ レーマー
  キラリ  

07/08ハンブルガーSV
  ゲレーロ  
  V・D・ファールト  
オリッチ トロホウスキ
N・デ・ヨング ヤロリム
アトゥバ J・ボアテング
マタイセン ラインハルト
  ロスト  

11/12シャルケ
  フンテラール  
  ラウール  
ドラクスラー ファルファン
ホルトビー パパドプーロス
フクス 内田篤人
マティプ ヘヴェデス
  ウンナーシュタル