ダリオ・スルナ(Darijo SRNA)
フルネーム ダリオ・スルナ
国籍 クロアチア
出身地 イモツキ
生年月日 1982・5・1
身長 184cm
体重 78kg
利き足
ポジション MF(RMF)
FK PK FK PK
キャプテン経験 クラブ 代表
代表デビュー 2002・11・20
ルーマニア戦
代表背番号 2 11
W杯メンバー 06年 14年
ニックネーム  
個人タイトル 08/09,09/10ウクライナリーグ年間最優秀選手
チームタイトル 99/00,02/03クロアチアカップ
00/01クロアチアリーグ
04/05,05/06,07/08,09/10~13/14ウクライナリーグ
03/04,07/08,10/11~12/13ウクライナカップ
08/09UEFAカップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
99/00 ハイデュク・スプリト 18
00/01 ハイデュク・スプリト 18 10
01/02 ハイデュク・スプリト 18 24
02/03 ハイデュク・スプリト 18 27
03/04 シャフタール(ウクライナ) 33 19
04/05 シャフタール(ウクライナ) 33 21
05/06 シャフタール(ウクライナ) 33 21
06/07 シャフタール(ウクライナ) 33 20
07/08 シャフタール(ウクライナ) 33 28
08/09 シャフタール(ウクライナ) 33 25
09/10 シャフタール(ウクライナ) 33 26
10/11 シャフタール(ウクライナ) 33 27
11/12 シャフタール(ウクライナ) 33 25
12/13 シャフタール(ウクライナ) 33 26
13/14 シャフタール(ウクライナ) 33 27
14/15 シャフタール(ウクライナ) 33 23
15/16 シャフタール(ウクライナ) 33 19
16/17 シャフタール(ウクライナ) 33    
速くて鋭いプレースキックとクロスが代名詞のサイドアタッカー。スピードあるドリブルで右サイドをカバーします。明るい性格でムードメーカーですが、気性が激しくラフプレーもいといません。

生まれ育った町はハンドボールが盛んでしたが、父親がサッカーのGKだった影響を受けてサッカーを選択し、12歳からクラブに所属。やがてH・スプリトからスカウトされて入団しました。
ユースレベルの大会で活躍した際、アヤックスやミランなどの強豪からラブコールを受けます。ミランのユースチームを率いる往年の名DFバレージから直々に入団を打診されますが、クラブのDF兼スポーツディレクターで自身の代理人も務めるイゴール・スティマッチが、17歳でのビッグ移籍はリスクが大きく時期尚早だと判断し、オファーを固辞しました。
その1年後にトップデビュー。01/02シーズンはリーグ年間最優秀選手にノミネートされ、02/03シーズンにはクラブのサポーター投票による年間最優秀選手に選ばれました。
03/04シーズンよりGKプレティコサと共にシャフタールへ移籍。国内では常にD・キエフと覇権を争います。2年目はチャンピオンズ・リーグでミラン、セルティック、バルセロナと、UEFA杯ではシャルケやAZと合計9試合出場。3年目はインテルとの予備選に敗れチャンピオンズ・リーグを逃し、UEFA杯で8試合出場。4年目はL・ワルシャワとの対戦を制してチャンピオンズ・リーグで5試合出場しますが、ローマやバレンシアの前にUEFA杯に回り3試合戦いました。
07/08シーズンは、宮本恒擁するザルツブルクとの予備選を制してチャンピオンズ・リーグに進みますが、ミランと中村俊擁するセルティックの前にグループリーグ敗退となりました。
08/09シーズンは自らの得点でD・ザグレブとの予備選を制しますが、バルセロナやスポルティングの前に3位となります。その後UEFA杯では9試合出場し、決勝ブレーメン戦で終了間際のジャヂソンをアシストしてタイトルを獲得。自らはマン・オブ・ザ・マッチになりました。
09/10シーズンはヨーロッパリーグC・ブルージュ戦で得点を挙げます。翌シーズンのチャンピオンズ・リーグではパルチザン戦で得点を挙げ、バルサに敗れるまで5アシストするなど9試合戦い、クラブ初のベスト8進出に貢献。12/13シーズンまで国内2冠を3連覇し、フェルナンヂーニョやムヒタリアン、ウィリアンが相次いで退団しながらも、リーグ5連覇を達成しました。
15/16シーズンはリーグこそ精彩を欠きますが、チャンピオンズ・リーグのフェネルバフチェ戦、ヨーロッパリーグではブラガとの準々決勝で1得点1アシストを見せています。

14歳でユース代表に招集されます。U-21欧州選手権予選ブルガリア戦ではハットトリックを記録し、2002年11月20日ルーマニア戦にてフル代表デビューします。
2004年欧州選手権予選は9試合1得点で出場権を得ますが、本大会では2試合の途中出場とチャンスに恵まれませんでした。また、U-21欧州選手権にも2試合出場しています。
2006年W杯予選は出場停止を除く全試合に出場。PKキッカーを任されたこともあり、5得点を決めます。本大会の日本戦ではPKを川口のファインセーブに阻まれ勝ちきれず、オーストラリア戦でFKを決めるものの再びドローになり、グループリーグ敗退となりました。
2008年欧州選手権予選では9試合3得点で本大会出場を決め、ドイツ戦で得点を挙げてグループリーグを突破します。これでシュケルの45得点に次ぐ歴代2位の記録となりました。
2010年W杯予選は9試合プレーしますが無得点に終わり、チームも敗退します。2012年欧州選手権予選では10試合戦い、ラトビアとの初戦で点を獲ります。本大会も3試合と健闘しましたが、決勝に進むイタリアとスペインの前に敗退を強いられました。
2014年W杯予選は11試合に出場、セルビア戦でマンヂュキッチの先制点をおぜん立てし、アイスランドとのプレーオフ2ndレグでは貴重な追加点と要所で輝きを放ちます。本大会では3試合先発しましたが、決定機に絡めずグループリーグで去りました。
9試合戦った2016年欧州選手権予選はイタリア戦で2枚のイエローを受けました。本戦は4試合先発してスペインに勝利しますが、決勝トーナメントでポルトガルに敗れました。
代表記録

余談
・実弟が身体にハンディキャップ(ダウン症)を背負っているため、治療費を工面することもプレーする理由の一つです。自身の胸には弟の名前が刻んであります。
・ファーストネーム「ダリオ」は、クロアチア語で「鹿」を意味します。
2007年3月30日:新規アップ 2016年7月2日更新