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フルネーム マシュー・トーマス・スピラノヴィッチ
国籍 オーストラリア※2  
出身地 ジーロング
生年月日 1988・6・27
身長 193cm
体重 87kg
利き足
ポジション DF(CB)
FK PK  
キャプテン経験  
代表デビュー 2008・5・23
ガーナ戦
代表背番号 6 20
W杯メンバー 14年
ニックネーム スピラ
個人タイトル  
チームタイトル 06/07DFBカップ
14AFCチャンピオンズ・リーグ
15AFCアジアカップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
06 AIS    
06/07 ニュルンベルク(ドイツ) 23
07/08 ニュルンベルク(ドイツ) 23
08/09 ニュルンベルク(ドイツ2部) 23
09/10 ニュルンベルク(ドイツ) 23
09/10 ニュルンベルクU(ドイツ4部)
10 浦和レッズ(日本) 4 13
11 浦和レッズ(日本) 4 25
12 浦和レッズ(日本) 4
12/13 アル・アラビ(カタール) 2 12
13/14 ウエスタン・シドニー 13 16
14/15 ウエスタン・シドニー 13 13
15 杭州緑城(中国) 34
16 杭州緑城(中国) 13 24
17 杭州緑城(中国2部) 13 16
18/19 パース・グローリー 13 13
19/20 パース・グローリー 13    
高くて強く、1対1や空中戦に強いCBの典型ですが、鋭い読みやスピード、足元のテクニックも見落とせない長所です。ただ、ケガが多いのがウィークポイントです。

母国では複数のクラブを渡り歩きます。AISではGKランゲラクやMFバーンズ、FWクルーズら後の代表の中軸を担う面々とプレーし、06シーズン終了後に渡独します。
ニュルンベルクに入り、2007年1月30日ボルシアMG戦でブンデスにデビュー。バイエルンを完封して好スタートを切り、UEFA杯出場権を手にしますが、元ブラジル代表グラウベルの存在やケガの影響もあり定位置獲得はなりませんでした。2年目も状況は変わらず、チームは降格しました。その後はレギュラーになるもののハムストリングや足首を傷めました。09/10シーズンは4部で調整し、グロイターフュルトやフライブルクから得点を挙げました。
10シーズンに浦和へレンタル移籍し、5月5日名古屋戦でJリーグにデビューします。複数のケガに悩まされますが、湘南戦ではヘディングを決めて勝利に貢献しました。完全移籍となった2年目は鈴木啓、永田らとの連携で自己最多の25試合に出場しました。しかし3年目はリーグ戦での出場機会を得られず、ナビスコ杯では仙台戦で退場処分を受けました。
12/13シーズンにアル・アラビと2年契約し、9月15日アル・サッド戦でカタールリーグにデビュー。2試合目で先制点を取りますが、12試合の出場にとどまりました。
13/14シーズンに母国に戻り、ニュルンベルクで一緒だったビーチャムと再び最終ラインを形成。ACLでは7試合に出場し、川崎Fや広島を下して小野らと共に優勝します。この結果を受けて出場したクラブW杯でしたが2枚のカードを受け、チームも敗れました。
15シーズンに杭州緑城へ移り、8月11日上海申花戦で中国リーグにデビューします。2年目はFWケイヒルとタッグを組みますが、15位に終わり降格しました。
18/19シーズンに母国リーグへ復帰しています。

2005年のU−17W杯、3年後の北京五輪でいずれも3試合とユース代表で多くの実戦経験を積みました。また、同年5月23日ガーナ戦でフル代表にデビューしました。
2010年W杯予選は中国との1試合にとどまり本大会出場はなりませんでした。2014年W杯予選では7試合戦って出場権を獲りました。本戦は9失点して3連敗しました。
2011年アジア杯は出場機会がありませんでした。4年後はは5試合に出場、イエロー3枚と苦戦します。グループリーグで韓国に敗れますが、決勝で雪辱を果たしました。
2018年W杯予選は9試合に出ますが、本戦メンバーから落選しました。
代表記録

余談
・妹ローラもサッカー選手です。

※1: マシュー・スピラノヴィッチ(Matthew SPIRANOVIC)
※2:英国、クロアチア国籍もあり
2017年8月31日:新規アップ 2019年6月28日更新