ルチアーノ・スパレッティ(Luciano SPALLETTI)
フルネーム ルチアーノ・スパレッティ
国籍 イタリア  
出身地 セルタルドオ
生年月日 1959・3・7
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
経歴 1993〜94 エンポリ
1995〜98 ナポリ
1998〜99 サンプドリア
1999〜00 ヴェネツィア
2000〜01 2002〜05 ウディネーゼ
2001〜02 アンコーナ
2005〜09 2016〜17 ローマ
2009〜14 ゼニト(ロシア)
2017〜19 インテル
獲得タイトル 06/07,07/08コッパ・イタリア
06,07セリエA年間最優秀監督賞(AIC)
10,11/12ロシアリーグ
10ロシアカップ
現役時代はスペツィア、エンポリ、ヴィアレッジョなどで守備的MFとしてプレー。しかし全て下部リーグであり、セリエAでのプレー機会はありませんでした。

下部リーグでの経験から、むやみな補強はせず現有戦力を最大限に生かし、チームの結束力や連係の熟成に注力します。また、若手選手の育成にも定評があります。
イタリアでは珍しく積極的に仕掛けるゲームを好み、フォーメーションも状況に応じて3−4−3や4−2−3−1、3−5−2を使い分けます。
ローマ第一期で編み出した「ゼロトップ」は、極めて能力が高いSTやトップ下がCFの位置で意外性や即興性のあるポストワークを見せ、それに周囲が連動する戦術です。それゆえ最前線の選手(ローマではトッティ)の能力に大きく依存したシステムであり、その選手が欠場した場合はチームの攻撃の質が低下し、ひいては布陣や作戦の変更も迫られます。
それでも00年代後半の柏(フランサ)や10/11バルサ(メッシ)、2012年欧州選手権のスペイン代表(セスク)と後進も生まれました(括弧内はゼロトップの選手)。
選手には運動量と理解力を求め、トネット、モンテッラ、ピサーロと過去に指導した選手を通して、チーム全体に戦術のコンセプトを素早く浸透させます。

35歳で現役を引退し、すぐに指導者として93/94シーズンから現役時代に在籍していたエンポリでキャリアをスタートさせました。相手を圧倒する運動量を選手に要求し、試合の主導権を握る形でチーム作りに試行錯誤します。95/96シーズンには3部から2部へ、96/97シーズンは2部から1部へ昇格させると、1部昇格後もチームを残留に導きました。
サンプドリアでは、モンテッラ、オルテガ、ベロンとタレントがそろっていたものの、就任と解任を繰り返して満足な指揮を執れず、結局16位でB降格となりました。
その後ヴェネツィアに就任します。1部残留の立役者だったレコバがインテルに戻ったため、守備を固めて前線の長身FWマニエロにロングボールを放り込むカウンターサッカーを展開しました。このためグラウンダーのパスでゲームを作るのが得意な名波は、チームの戦術に合わず失意のままイタリアを後にしました。結局このシーズンも途中解任されチームも2部降格となり、「降格請負人」の汚名を着せられました。00/01シーズンの24節からウディネーゼで指揮を執った後、翌シーズン途中にアンコーナを率いて1部残留に貢献しました。
02/03シーズンにウディネーゼに復帰します。ヤンカー、センシーニ、ヤンクロフスキとピンポイントな補強を見せ、ピサーロ、ヨルゲンセンら既存の戦力と融合させます。そして6位、7位と安定した成績を残し、04/05シーズンにはCFヤクインタと経験豊富なディ・ナターレ、ディ・ミケーレの3トップが機能、ピンツィ、ムンタリら若手MFも成長します。そして4位でリーグ戦を終えてクラブ初のチャンピオンズ・リーグ出場権を獲得し、シーズン最優秀監督に選ばれました。
05/06シーズンからローマと2年契約を結びます。開幕からしばらくは苦しみ、モンテッラやノンダとFWにケガ人が続出しました。迎えた第16節サンプドリア戦では苦肉の策として本来トップ下のトッティをCFとして起用します。彼の高質な動きに呼応し、3列目からコンバートされたペッロッタが飛び出し、マンシーニと新加入タッデイのブラジル人WGによる上下動やポジションチェンジを見せる流動的なサッカーが実現します。戦術的な試行錯誤を繰り返し、冬にはチームの和を乱すカッサーノを放出して組織力を高めると、17節からセリエA記録となる11連勝と破竹の勢いで勝ち点を重ねて5位で終え、クラブに2年ぶりのチャンピオンズ・リーグ出場権をもたらして2年連続の最優秀監督となりました(不正事件のペナルティで上位のクラブが勝ち点を減らされ、2位に繰り上がりました)。国内カップではインテルの前に準優勝に終わりました。
06/07シーズンは、ウディネーゼ時代の教え子ピサーロを獲得。この司令塔の存在により攻撃のバリエーションが増え、トッティが26得点で得点王に輝きました。また、国内カップを制して初タイトルを手にしました。翌シーズンはカップを連覇し、ヴチニッチ、ジュリ、フアンと攻守に層が厚くなったチームは2年連続でチャンピオンズ・リーグのベスト8になりました。
09/10シーズンはジェノアとユヴェントスに連敗して9月1日に解任されますが、ゼニトと3年契約を結びます。GKマラフェエフ、CBロンバーツ、B・アウヴェス、MFジリャノフ、デニソフ、シロコフ、FWケルジャコフとセンターラインが充実し、リーグでは23試合無敗記録を作り優勝、11年ぶりのカップとの国内2冠に輝きます。ヨーロッパリーグでは16強になりました。
2年目はリーグが秋春制に切り替わり長丁場となりますが、大型補強もせず連覇を達成。3年目は期待されたフッキやヴィツェルが素早くなじめず、C・モスクワに2ポイント及びませんでした。チャンピオンズ・リーグはグループで3位、ヨーロッパリーグも16強にとどまりました。4年目もアルシャヴィンを戻すもののC・モスクワを捕らえられず、途中で解任されました。
15/16シーズンの途中、ガルシア監督解任によりローマに復帰します。同時に加入したペロッティをゼロトップに置き、サラーとエル・シャーラウィの両ワイドで切り崩す攻撃を展開して14勝4分1敗の3位で終え、チャンピオンズ・リーグ出場権を獲得しました。
2年目はピャニッチをユヴェントスに引き抜かれますが、ストロートマンが復帰して中盤の質が保たれます。得点王になるジェコを筆頭に攻撃陣が充実する一方、出場機会が減少するトッティとの確執もありましたが、クラブ史上最多の勝ち点、得点で2位になりました。
17/18シーズンにインテルに就任します。CBシュクリニアルの獲得により失点数が減少し、2度目の得点王になるイカルディのPKなどで最終節のラツィオ戦を制し、クラブ6年ぶりとなるチャンピオンズ・リーグ出場権を獲得しました。
2年目はリーグ最多17完封のハンダノヴィッチ、ブロゾヴィッチのパス、ポリターノのサイド攻撃が目立ちましたが、周囲と対立するイカルディから腕章をはく奪します。このエースの機能不全で得点力不足となり、チャンピオンズ・リーグ出場権を守るのが精一杯となりました。
チャンピオンズ・リーグもグループリーグで3位、ヨーロッパリーグも決勝トーナメント2回戦でフランクフルトに敗れて退任しました。

2016年2月10日:新規アップ 2019年9月28日更新

97/98エンポリ
カッペリーニ C・エスポージト
  マルトゥシェッロ  
トネット ルチェンティ
ビゾーリ パーネ
ビアンコーニ フスコ
  バルディーニ  
  セレニ  

98/99(サンプドリア)
パルミエリ モンテッラ
  オルテガ  
フランチェスケッティ ベロン
  ボゴシアン  
レーグル バレッリ
ミハイロヴィッチ マンニーニ
  フェロン  

99/00ヴェネツィア
ガンツ マニエロ
ペドーネ バルトリーナ
ヴォルピ(名波) ベルク
ベッタリーニ カルドーネ
ビリカ ヌゴッティ
  タイービ  

04/05ウディネーゼ
  ヤクインタ  
ディ・ミケーレ ディ・ナターレ
ヤンクロフスキ ピンツィ
ムンタリ ピサロ
クロルドルップ ベルトット
  フェリペ  
  デ・サンクティス  

05/06ローマ
 トッティ 
 ペッロッタ 
マンシーニタッデイ
アクイラーニデ・ロッシ
クフレパヌッチ
キヴメクセス
 ドニ 

10ゼニト(国内2冠)
 ケルジャコフ 
 ジリャノフ 
ダニービストロフ
デニソフセマク
ルコヴィッチアニュコフ
ロンバーツB・アウヴェス
 マラフェエフ 

15/16ローマ
エル・シャーラウィ サラー
  ペロッティ  
ナインゴラン ピャニッチ
  デ・ロッシ  
ディーニュ フロレンツィ
リュディガー マノラス
  シュチェスニー