ギャレス・サウスゲイト(Gareth SOUTHGATE) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | ギャレス・サウスゲイト | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | イングランド | ![]() |
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出身地 | ワトフォード | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1970・9・3 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 184cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 78kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 右 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | DF(CB) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | |||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | クラブ | ||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | 1995・12・12 ポルトガル戦 |
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代表背番号 | 6 12 16 | ||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | 98年 02年 | ||||||||||||||||||||||||||||
ニックネーム | |||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | |||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | 95/96,03/04イングランドリーグ・カップ | ||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
88/89 クリスタル・パレス | 0 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
89/90 クリスタル・パレス | 0 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
90/91 クリスタル・パレス | 1 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
91/92 クリスタル・パレス | 30 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
92/93 クリスタル・パレス(2部) | 33 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
93/94 クリスタル・パレス | 46 | 9 | |||||||||||||||||||||||||||
94/95 クリスタル・パレス | 42 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
95/96 アストン・ヴィラ | 31 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
96/97 アストン・ヴィラ | 28 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
97/98 アストン・ヴィラ 4 | 32 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
98/99 アストン・ヴィラ 4 | 38 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
99/00 アストン・ヴィラ 4 | 31 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
00/01 アストン・ヴィラ 4 | 31 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
01/02 ミドルスブラ 6 | 37 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
02/03 ミドルスブラ 6 | 36 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
03/04 ミドルスブラ 6 | 27 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
04/05 ミドルスブラ 6 | 36 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
05/06 ミドルスブラ 6 | 24 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
優れた統率力とカバーリングで最終ラインをつかさどる頭脳派のCB。MF出身であるため正確なフィードキックで攻撃の起点となります。 1988年に練習生としてC・パレスと契約します。翌年にトップ昇格を果たし、1991年4月23日リヴァプール戦でプレミアデビューします。当時はMFとしてプレーし、93/94シーズンの2部降格時には9得点を挙げて1年でのプレミア復帰に貢献しました。また、キャプテンも務めるなどチームにとってなくてはならない存在でした。 しかし再び2部に降格したため、1995年にA・ヴィラへ移籍します。チームを率いていたブライアン・リトル監督によりDFへコンバートされると才能が飛躍的に開花します。翌年にはリーグ杯決勝でリーズを破って自身初のタイトル獲得に成功し、UEFA杯出場権を手にしました。99/00シーズンには国内カップのファイナリストになりました。 マンチェスター・Uの3冠達成時、ファーガソン監督の右腕だったマクラーレンが2001年にミドルスブラの監督になり、かねてから高く評価していた自身を引き抜くことになります。自身は2000年欧州選手権直前に移籍を志願しており、1年越しに実現した形となりました。 インス退団後はキャプテンとしてチームを引っ張り、アストン・ヴィラ時代の同僚エヒオグとのCBコンビは国内屈指とされ、03/04シーズンにはクラブ初タイトルのリーグ杯を獲得しました。 04/05シーズン、UEFA杯で10試合出場して決勝トーナメント2回戦に進出します。翌シーズンは8試合出場してファイナリストとなりましたが、セビージャに0−4と完敗しました。 シーズン終了後にマクラーレン監督がイングランド代表に就任するためPMとなり、05/06シーズンを最後に引退して、そのまま監督としてのキャリアを始めています。 1995年12月12日ポルトガル戦で代表デビュー。翌年に地元で開催された欧州選手権では5試合出場してベスト4に進出。しかし準決勝ドイツ戦のPK戦にて6人目のキッカーとして登場しますが、相手GKケプケの腕の中へボールはおさまり、決勝進出はなりませんでした。 1998年W杯予選は5試合戦い、本大会初戦チュニジア戦にフル出場するものの、負傷で残るグループリーグを欠場。アルゼンチン戦で途中出場するもののPK戦で敗れました。 2000年欧州選手権では1試合の途中出場、チームもグループリーグ敗退に終わりました。2年後のW杯ではメンバーに選出されましたが出番はありませんでした。 2004年欧州選手権予選もケガの影響で1試合の出場に終わり、メンバーから落選しました。 代表記録 57試合2得点 2010年8月29日:新規アップ 2012年9月9日更新 |