ファン・ソリン(Juan SORIN)
フルネーム ファン・パブロ・ソリン
国籍 アルゼンチン
出身地 ブエノスアイレス
生年月日 1976・5・5
身長 173cm
体重 65kg
利き足
ポジション DF(LSB)
FK PK  
キャプテン経験 クラブ 代表
代表デビュー 1995・2・14
ブルガリア戦
代表背番号
W杯メンバー 02年 06年
ニックネーム  
個人タイトル  
チームタイトル 95FIFAワールドユース
96コパ・リベルタドーレス
96/97,97/98,99/00アルゼンチン前期リーグ
96/97アルゼンチン後期リーグ
00コパ・ド・ブラジル
所属クラブおよび背番号 出場 得点
94/95 アルヘンティノス・ジュニアーズ 20
95/96 ユヴェントス(イタリア)
96/97 リーベル・プレート 32
97/98 リーベル・プレート 20
98/99 リーベル・プレート 19
99/00 リーベル・プレート
00 クルゼイロ(ブラジル) 14
01 クルゼイロ(ブラジル) 15
02/03 ラツィオ(イタリア)
02/03 バルセロナ(スペイン) 20 15
03/04 パリ・サンジェルマン(フランス) 3 21
05 クルゼイロ(ブラジル)
04/05 ビジャレアル(スペイン) 12 21
05/06 ビジャレアル(スペイン) 12 20
06/07 ハンブルガーSV(ドイツ) 2 19
07/08 ハンブルガーSV(ドイツ) 2
08 クルゼイロ(ブラジル)
豊富な運動量に攻守に水準が高くDFとMF双方をこなします。縦に抜けたり内に切れ込んだりするドリブルは相手にとって脅威です。長髪で野性的な外見ですが、頭脳明晰です。

8歳のころ、マラドーナやリケルメなどを輩出したアルヘンティノスの傘下クルブ・バルケでキャリアをスタートさせます。14歳でアルヘンティノスへ昇格してペケルマン監督と出会います。
1994年9月にトップチームデビューを果たし、翌年のWユースでの活躍後にユヴェントスに引き抜かれますが、定位置を獲得できず1シーズンで母国へ帰ります。リーベルに加入後、リーグではレギュラーとして活躍し復調を見せると、南米最強の称号であるリベルタドーレス杯を獲得しました。インターコンティネンタル杯では、古巣ユヴェントスに敗れました。
クルゼイロを経て再び欧州に挑戦します。ラツィオが財政難だったため冬にバルセロナへレンタル移籍しますが、チームは低迷期にあり、自身も不本意な出来に終始しました。その後欧州3ヶ国目となるフランスへ渡ります。同胞のエインセが左SBだったため左MFでプレー、右のフィオレスとともに積極的にサイドアタックを仕掛け、チームをリーグ2位に押し上げました。
2004年途中にビジャレアルに移籍。すぐにチームに不可欠の存在になり、リーグ3位に入る大躍進を見せてクラブ史上初のチャンピオンズ・リーグの出場権を獲得します。本大会でも初出場ながらベスト4という快挙を達成して、ヨーロッパに旋風を巻き起こしました。
06/07シーズンよりハンブルガーSVへ。5ヶ国目でのプレーとなりますが、思うような出場機会を得られず、3度目のクルゼイロでのプレーを最後に現役を引退しました。

カタールで開催された1995年Wユースに6試合出場。キャプテンマークを託してきたペケルマン監督の期待に応え、タイトル獲得に貢献しました。
同年の2月14日にはフル代表デビューします。1998年W杯予選のベネズエラ戦で2ゴールを挙げる活躍を見せましたが、シメオネの存在もあって本大会出場はなりませんでした。
2002年W杯予選は14試合で2ゴールの成績を収め、本大会でも3試合出場しましたが、グループリーグ敗退の憂き目に遭いました。2005年コンフェデ杯では5試合戦いファイナリストになりましたが、ブラジルに1−5という屈辱的な大敗を喫しました。
2006年W杯予選から再びペケルマンの元でプレー。キャプテンとして13試合出場し、宿敵ブラジル戦でゴールを挙げました。本大会でもアグレッシブなプレーでチームを牽引、全5試合に出場してベスト8に進んでいます。
代表記録 75試合11得点
2006年7月2日:新規アップ 2014年7月15日更新