反町 康治(Yasuharu SORIMACHI)
フルネーム 反町 康治(ソリマチ ヤスハル)
国籍 日本  
出身地 埼玉県さいたま市
生年月日 1964・3・8
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
経歴 2001〜05 アルビレックス新潟
2006〜08 日本代表コーチ・北京オリンピック日本代表
2009〜11 湘南ベルマーレ
2012〜   松本山雅
獲得タイトル  
現役時代は得点感覚を備えた攻撃的MFまたはSTとしてプレー。1988年に全日空(後の横浜F)に入社します。Jでプレーしながら会社にも籍を置いていたため、サラリーマンJリーガーと呼ばれました。開幕の93シーズンに天皇杯優勝を経験し、翌シーズンに平塚(現湘南)へ移籍しプロ選手となり、再び天皇杯を制覇しました。日本代表でも4試合プレーしています。

戦術眼や分析力に長け、試合中はノートなどを常に携帯しています。また、慎重に言葉を選び、よりわかりやすく具体的な指導方法で選手の能力を引き出す術も持っています。
フォーメーションは手持ちの選手次第で変化させますが、中盤での速いパス回しで主導権を握り、ポゼッションを重視する攻撃サッカーを標榜します。

浦和生まれ。名門清水東高ではエースとして活躍し、高校総体で2連覇を達成。漫画「キャプテン翼」に登場する「反町一樹」のモデルとなりました。高校での活躍により慶大への推薦枠を手にしますが、それを固辞し、一浪したあと一般入試で合格しました。大学を卒業する時も強豪の実業団への推薦を拒み一般受験で全日空に入りました。
1998年1月に現役を引退し解説者を経て、単身スペインへコーチ留学します。古巣横浜Fのつてを頼りにバルセロナの下部組織を視察し、その後エスパニョールやビルバオといった他の名門チームにも足を運びました。また、スペイン語も精力的に学びました。
平塚でプレーしていた頃C級ライセンスを取得していたので(現役での取得はJリーガー初)、2001年にS級ライセンスも程なく取得すると、永井良和監督の後を受けて36歳の若さで当時J2だった新潟の監督に就任します。1995年に設立されたばかりのクラブで環境面で未熟だったため、采配を振るう本来の仕事以外にも練習場の確保や洗濯物の管理、道具の片付けなど雑多な仕事もこなしました。また、クラブのフロントと協力して無料チケットを配布するなど観客増員にも貢献しました。そしてJリーグで1,2を争う動員数を確保しました。
01シーズンは鹿島や代表で実績を残した黒崎を獲得。彼は21ゴールと期待に応えましたが4位に終わり、翌シーズンも大分とC大阪の後塵を拝しました。03シーズンは名古屋から山口素の獲得に成功。観客を魅了する攻撃サッカーも実を結び、マルクスが32ゴールを挙げるなど、シーズン最多ゴール、最多の得失点差と文句無しの成績でJ1昇格を果たしました。
J1での戦いは1stステージこそ下位に沈んだものの、2ndステージで3−6−1のシステムを採用して、共にサイドアタッカーであるファビーニョと鈴木慎吾を共存させます。その結果、ファビーニョはチーム2位の9ゴールを挙げ、鈴木はリーグ首位タイの10アシストを記録しました。翌05シーズンは、移籍した山口の穴を埋めるべく磐田から菊地直を獲得してリベロに据えます。リーグ12位でチームをJ1残留に導き、シーズンいっぱいで辞任しました。
2006年に北京五輪を目指す代表監督とフル代表のコーチを兼任します。五輪予選当初は平山やカレンといった2005年Wユース組がレギュラーでしたが、Jで活躍した岡崎や韓国から帰化した李忠成を加え、2007年Wユース組から森島康もポジション争いに加わり、他には柏木や梅崎、安田、内田を招集しました。アウェーのカタール戦で逆転負けを喫しましたが、ベトナムに大差で勝利し、サウジアラビアに引き分けて4大会連続の出場権を獲得します。
本大会メンバーには大久保や遠藤の召集が実現せず、アトランタ五輪以来のオーバーエージ枠なしとなります。また、伊野波、青山直、青山敏、水野などといった常連を外し、フル代表で活躍する長友や香川を招集します。アメリカに先制点を許して重要視された初戦を落とし、ナイジェリア戦では予選終盤に活躍しメンバー入りしたFW豊田が一矢報うものの及ばず、Wユースでの雪辱をかけて臨んだオランダにも敗れます。各試合ともいずれも訪れたチャンスをものにできず、流れを相手に与えた末の全敗という結果に終わりました。
09シーズンに古巣湘南に就任し、新潟時代のGK野澤とMF寺川を呼び攻守の軸に据えます。2ケタゴールを挙げた選手が5人も生まれるなど、4−3−3の攻撃サッカーが実を結びJ2を3位で終え、チームを11年ぶりのJ1復帰に導きます。10シーズンはFW新居を獲得して攻撃力アップを目指しますが、GK野澤をはじめ負傷者が相次ぎます。シーズン途中で浦和からGK都築を獲得するものの守備のほころびは立て直せず、21試合連続未勝利と82失点というリーグワーストの記録で最下位に終わります。翌シーズンも昇格争いに絡めず退任しました。
2012年、JFLからJ2に昇格した松本山雅に就任しています。
2007年4月14日:新規アップ 2012年7月6日更新

04アルビレックス新潟
  オゼアス  
ファビーニョ エヂミウソン
鈴木慎吾 寺川能人
桑原裕義 山口素弘
松尾直人 丸山良明
  喜多靖  
  野澤洋輔  

08U−23日本代表(五輪に4大会連続出場)
  豊田陽平  
  谷口博之  
香川真司 本田圭佑
本田拓也 細貝萌
安田理大 内田篤人
水本裕貴 森重真人
  西川周作