サンティアゴ・ソラーリ(Santiago SOLARI)
フルネーム サンティアゴ・エルナン・ソラーリ
国籍 アルゼンチン
出身地 ロサリオ
生年月日 1976・10・7
身長 180cm
体重 75kg
利き足
ポジション MF(LMF)
FK PK  
キャプテン経験  
代表デビュー 1999・11・17
スペイン戦
代表背番号 21
W杯メンバー  
ニックネーム  
個人タイトル  
チームタイトル 96アルゼンチン後期リーグ
96コパ・リベルタドーレス
97アルゼンチン前期リーグ
00/01,02/03リーガ・エスパニョーラ
01/02UEFAチャンピオンズ・リーグ
02FIFAインターコンティネンタル・カップ
05/06コッパ・イタリア
05/06,06/07,07/08セリエA
所属クラブおよび背番号 出場 得点
94 ニューウェルス・オールドボーイズ
95 レナト・セサリーニ(2部)
96 リーベル・プレート 21 24
97 リーベル・プレート 21 27
98 リーベル・プレート 21 15
98/99 アトレティコ・マドリー(スペイン) 12
99/00 アトレティコ・マドリー(スペイン) 9 34
00/01 レアル・マドリー(スペイン) 21 14
01/02 レアル・マドリー(スペイン) 21 28
02/03 レアル・マドリー(スペイン) 21 28
03/04 レアル・マドリー(スペイン) 21 34
04/05 レアル・マドリー(スペイン) 21 26
05/06 インテル(イタリア) 21 13
06/07 インテル(イタリア) 21 21
07/08 インテル(イタリア) 21
08/09 サン・ロレンソ 26
09/10 アトランテ(メキシコ) 29
10/11 アトランテ(メキシコ)
10/11 ペニャロール(ウルグアイ)
タッチライン際から鋭く中へ切れ込んだり、縦へ突破したりする典型的なサイドアタッカーです。主に左サイドでプレーしますが、右サイドや中央でもプレー可能です。

ニューウェルスでプロのキャリアをスタートさせ、1996年には名門リーベルへ移籍。すぐにレギュラーポジションを確保すると、チリ代表サラスや、自身の憧れの選手でもあるウルグアイ代表フランチェスコリといった名選手とともにプレーします。
貴重な経験を積むとともに、後期のリーグ制覇とリベルタドーレスといったビッグタイトルを相次いで獲得しました。1998年は2度目のリベルタドーレス制覇に挑みましたが、ヴァスコ戦ではジュニーニョ・PeのFKにより敗れました。しかしベスト4まで進むことができました。
欧州への移籍はその直後で、スペインの名門A・マドリーでした。ラニエリ監督の下でプレーした2シーズン目はレギュラーでしたが、チームは最下位になり降格の憂き目に遭いました。
自身は翌00/01シーズン、デル・ボスケ監督の熱望により降格した古巣と同じ本拠地のR・マドリーに移籍。サヴィオ、フィーゴ、マクマナマンなどライバルが多く出場機会にはそれほど恵まれなかったものの、リーグ優勝を達成し欧州移籍3年目で初タイトルを獲得します。
01/02シーズン以降は主にジダンのサブという位置付けで途中出場が多かったものの、ピッチに入れば試合の流れを読み、得意のドリブルでアクセントをつけました。チャンピオンズ・リーグでも12試合のうち5試合が途中出場でしたが、4ゴールを決めて優勝に貢献しました。
05/06シーズンにフィーゴ、サムエルとともにインテルに移籍。両者がレギュラーを獲得している中、自身はイタリアの水に慣れることができませんでした。あらゆるポジションをこなすスタンコヴィッチの存在もあり、スタメン出場は困難な状況となりました。
08/09シーズンに契約が満了し母国へ復帰しますが、すぐにメキシコに渡りレギュラーとして活躍、クラブW杯にも3試合出場しました。翌年途中にウルグアイで現役を終えています。

フル代表デビューは1999年11月17日のスペインとの親善試合でした。代表には散発的に召集されるケースが多く、定着には至りませんでした。
2002年W杯はソリンやキリ・ゴンサレスの存在でエントリーされず、2006年大会はチームがWGを置かないシステムだったため、チャンスがありませんでした。
また、ジーコ監督率いる日本戦で2度出場しています。
代表記録 11試合1得点

余談
・おじは1995年にJリーグの横浜Mで監督を務め、年間優勝に導いています。
2006年9月25日:新規アップ 2014年7月15日更新