ヴェスレイ・スナイデル(Wesley SNEIJDER)
フルネーム ヴェスレイ・スナイデル
国籍 オランダ
出身地 ユトレヒト
生年月日 1984・6・9
身長 170cm
体重 67kg
利き足
ポジション MF(OMF)
FK PK FK PK
キャプテン経験 代表
代表デビュー 2003・4・30
ポルトガル戦
代表背番号 10 20
W杯メンバー 06年 10年
14年
ニックネーム  
個人タイトル 04オランダ年間最優秀若手選手
08UEFA欧州選手権ベストイレブン
10FIFA/FIFProベストイレブン
10FIFAワールドカップシルバーボール
10FIFAワールドカップブロンズシュー
10FIFAワールドカップベストイレブン
10UEFA最優秀MF
10UEFAベストイレブン
チームタイトル 03/04エールディヴィジ
05/06,06/07オランダカップ
07/08リーガ・エスパニョーラ
09/10セリエA
09/10,10/11コッパ・イタリア
09/10UEFAチャンピオンズ・リーグ
10FIFAクラブワールドカップ
12/13,14/15トルコリーグ
13/14,14/15トルコカップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
02/03 アヤックス 18 17
03/04 アヤックス 18 30
04/05 アヤックス 18 30
05/06 アヤックス 18 19
06/07 アヤックス 10 30 18
07/08 レアル・マドリー(スペイン) 23 30
08/09 レアル・マドリー(スペイン) 23 22
09/10 インテル(イタリア) 10 26
10/11 インテル(イタリア) 10 25
11/12 インテル(イタリア) 10 20
12/13 インテル(イタリア) 10
12/13 ガラタサライ(トルコ) 14 12
13/14 ガラタサライ(トルコ) 10 27 12
14/15 ガラタサライ(トルコ) 10 31 10
15/16 ガラタサライ(トルコ) 10 25
16/17 ガラタサライ(トルコ) 10 28
17/18 ニース(フランス)    
キックは両足共に正確無比を誇り、巧みなボールさばきと広いビジョンでチームにリズムを生む司令塔。ミドルやFKは世界でも指折りの威力を誇ります。

母国最高のFWファン・バステンと同じユトレヒトに生まれます。サッカー選手だった父親や祖父の影響を受けてアマチュアクラブDOSへ加入、ここで先に加わっていた兄、後に加入する弟と共に成長し、1992年にアヤックスのユースに合格します。
ユースでは元オランダ代表DFダニー・ブリントなどから指導を受け、2002年12月22日エクセルシオール戦にて18才でエールディヴィジデビューを果たします。R・クーマン監督に実力を認められ、リーグ17試合出場の内15試合に先発出場。チャンピオンズ・リーグにも出場してベスト8進出を果たすなど経験を積みます。03/04シーズンから定位置を得て開幕戦など9ゴールを挙げ、ファン・デル・ファールトやイブラヒモヴィッチらと共にリーグ優勝に貢献しました。
05/06シーズン、チャンピオンズ・リーグでは5試合2ゴールでチームを決勝トーナメントに導くと、このシーズンから国内カップ2連覇を果たします。06/07シーズンには3度の1試合2ゴールやフェイエノールト戦でのハットトリックなど、自己最多のリーグ18ゴールを挙げました。
そしてR・マドリーへ移籍。マドリードダービーとなった07/08シーズンの開幕戦でゴールを決めて自らリーガデビューを飾ると、ビジャレアル戦でもFK含む2ゴールを挙げて、瞬く間にサポーターから信頼を獲得します。同時に加入した同胞のロッベンやドレンテの低迷を尻目にポジションを確保、グティと共に司令塔として、ファン・ニステルローイやラウールといったFW陣のゴールを演出してチームをリーガ2連覇に導きます。しかし翌シーズンはヒザのケガで不本意な結果に終わり、C・ロナウドとカカの相次ぐ加入でインテルに放出されます。
8月29日のミラノダービーでセリエAにデビューし、トップ下獲得を志願していたモウリーニョ監督の戦術に順応、リーグ26試合で4ゴール4アシストを記録します。チャンピオンズ・リーグでも本田擁するC・モスクワやバルセロナ戦でゴールを、チェルシー戦や決勝バイエルン戦でアシストを決め、11試合3ゴール6アシストでクラブ44年ぶりのビッグイヤーを獲得するなど、イタリア史上初の三冠に貢献します。2年目もチャンピオンズ・リーグでバイエルンからなど3ゴールをマーク。リーグでもローマ戦で1ゴール1アシストを見せますが、スクデットを逃しました。
3年目の序盤はガスペリーニ監督の戦術に合わず、彼の解任前後にケガでの離脱も重なりチーム低迷の要因となり、ウディネーゼ戦での2ゴールが唯一の見せ場となりました。4年目はクラブとの契約がこじれて出場機会を失い、途中でガラタサライへ移ります。
リーグ戦では12試合で3ゴールを挙げ、ブラクやドログバと強力なFWを操りチームを連覇に導きます。チャンピオンズ・リーグではR・マドリーと準々決勝で対戦、合計スコアで敗れますが、2ndレグで1ゴール1アシストと恩返しを果たしました。2年目もブラクに次ぐ12ゴールを挙げ、チャンピオンズ・リーグでもユヴェントス戦で決勝ゴール、チェルシー戦で同点弾を演出するなどハイレベルなプレーを披露しました。3年目もフェネルバフチェ戦など3度の1試合2ゴールや終盤のベシクタシュ戦など10ゴールで2年ぶりのリーグ、さらにカップの2冠に輝きました。
17/18シーズンにニースへ移籍しています。

2003年3月28日チェコ戦にてUー21代表デビュー、更に翌月4月30日ポルトガル戦にてオランダ史上8番目の年少記録となる18歳325日でフル代表デビューを果たします。
代表2戦目の2004年欧州選手権予選モルドバ戦で代表初ゴールを挙げると、本大会出場を賭けたスコットランドとのプレーオフ第2戦では1ゴール3アシストと出色の働きを見せ、第1戦を0ー1で敗れ追い込まれていた母国を窮地から救ったのです。本大会ではコクーやダーヴィッツなどベテランのサブとして2試合に出場しベスト4に進出しました。
ファン・バステン監督にも召集され、2006年W杯予選は7試合で2ゴールを挙げます。本大会でも全4試合に出場し、アルゼンチンなどと同居した激戦区のグループを突破しました。
2008年欧州選手権予選では10試合で2ゴールを挙げると、本大会では24歳の誕生日となったイタリア戦、そしてフランス戦でゴールを挙げます。特に前者でのボレーシュートは大会のベストゴールに選ばれました。また、アシストも2つ見せてグループリーグでの快進撃を演出、優勝候補の筆頭にも挙げられましたが、準々決勝でロシアに敗れました。
2010年W杯予選では5試合プレーし、2大会連続出場を果たします。そして自慢のミドルで日本を止め、ブラジルとの準々決勝では自らの2ゴールで下すなど5ゴールを挙げ、フォルラン、ビジャ、T・ミュラーと共に大会得点王に輝きました。
2012年欧州選手権予選は8試合3ゴール5アシストと役割を果たします。本大会では3試合戦い、ドイツ戦でファン・ペルシをおぜん立てしますが、及ばず敗れました。
大会終了後に就任したファン・ハール監督から腕章を渡されますが、後にファン・ペルシやロッベンに託します。そしてストロートマンと共に攻撃的MFとして2014年W杯予選で6試合に出場しました。しかしこの相棒がケガで離脱し、本大会では6試合プレー、トップ下としてFW陣と守備陣をつなぐ存在として重要な存在となります。メキシコ戦では敗色濃厚となった終了間際ににフンテラールのポストから同点ミドルを決めて逆転勝利を呼び込み、3位になりました。
2016年欧州予選は10試合で1ゴールに終わり、敗退しました。
代表記録

余談
・2009年9月5日の日本との親善試合で1点決めています。
2010年6月19日:新規アップ 2017年8月7日更新