フルネーム オレクサンドル・ショフコフスキ
国籍 ウクライナ  
出身地 キエフ
生年月日 1975・1・2
身長 191cm
体重 86kg
利き足
ポジション GK
FK PK  
キャプテン経験 クラブ 
代表デビュー 1994・11・13
エストニア戦
代表背番号
W杯メンバー 06年
ニックネーム サシャ
個人タイトル  
チームタイトル 94/95〜98/99,00/01,02/03,03/04,06/07,
08/09,14/15,15/16ウクライナリーグ
95/96,97/98〜99/00,02/03,04/05〜06/07,
13/14,14/15ウクライナカップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
93/94 ディナモ・キエフ
94/95 ディナモ・キエフ 33
95/96 ディナモ・キエフ 27
96/97 ディナモ・キエフ 27
97/98 ディナモ・キエフ 38
98/99 ディナモ・キエフ 37
99/00 ディナモ・キエフ 31
00/01 ディナモ・キエフ 25
01/02 ディナモ・キエフ
02/03 ディナモ・キエフ 15
03/04 ディナモ・キエフ 19
04/05 ディナモ・キエフ 1 23
05/06 ディナモ・キエフ 1 24
06/07 ディナモ・キエフ 1 24
07/08 ディナモ・キエフ 1 22
08/09 ディナモ・キエフ 1 10
09/10 ディナモ・キエフ 1 24
10/11 ディナモ・キエフ 1 10
11/12 ディナモ・キエフ 1 24
12/13 ディナモ・キエフ 1
13/14 ディナモ・キエフ 1
14/15 ディナモ・キエフ 1 18
15/16 ディナモ・キエフ 1 18
16/17 ディナモ・キエフ 1    
たまに致命的なミスを犯すことがあり安定感に課題を残しますが、抜群の反射神経、判断力、セービング、正確なフィードが持ち味。ユースからの生え抜きでD・キエフを象徴するGKです。

7歳の時にサッカーを始めます。D・キエフで長年過ごして93/94シーズンの3月6日にトップデビューし、最優秀選手投票で2位になりました。名将ロバノフスキの下で才能が開花し、翌シーズンより正守護神としてリーグ5連覇や3度のカップ戦制覇に大きく貢献しました。
97/98シーズンのチャンピオンズ・リーグでは、ユヴェントスに肉薄したものの惜しくも負けましたが、それでもベスト8進出を決めます。連携が深まった翌98/99シーズンは準々決勝で王者R・マドリーを破ってベスト4進出を果たし、欧州に旋風を巻き起こしました。
当時は自身も含め主力はウクライナ人選手が多かったものの、近年は多くの外国人選手が加入しました。自身の存在は不動でしたが、08/09シーズンはボグシュ、10/11シーズン以降は18歳年下のコヴァルと同胞の後進が台頭し、彼らにポジションを譲る場面も見られます。
チャンピオンズ・リーグでも06/07シーズンから2年で9試合出場しますが、08/09シーズンは不出場。09/10シーズンに4試合出場するも、その後は再び出場機会を逸します。10/11シーズンからはヨーロッパリーグに回り、2年で13試合に出場しています。
12/13シーズンからは、17歳下のコヴァルのバックアッパーとなりますが、14/15シーズンに彼が退団すると再び多くの出場機会を得て12年ぶりの国内2冠になりました。ヨーロッパリーグは10試合に出場、3試合を完封してベスト8になっています。

U−21代表で12試合出場した後、1994年11月13日エストニア戦でフル代表デビューを果たします。以降はクラブ同様不動の守護神でしたが、国際大会に縁がありませんでした。
1998年と2002年のW杯、2004年の欧州選手権は地区予選敗退に終わりましたが、2006年W杯予選では前回大会3位のトルコ、2004年欧州選手権王者ギリシャ、常連デンマークなどを相手に予選12試合で許した失点はわずかに7。また、6試合連続完封勝利をおさめ、クラブ、代表で長くプレーしてきたCBフェドロフらとともに堅牢な壁を築きました。
そして母国を初めてのW杯出場に導きます。クラブの親善試合で鎖骨を骨折しましたが、本大会には間に合います。グループリーグ初戦でスペインに大敗を喫するも、サウジアラビアとチュニジアを完封し決勝トーナメントへ。1回戦のスイス戦は序盤から好セーブを連発し無得点に抑えPK戦にもつれ、3者連続でPKを止めて初出場ながらベスト8進出に貢献しました。
代表記録

※:オレクサンドル・ショフコフスキ(Oleksandr SHOVKOVSKIY)
2006年11月4日:新規アップ 2016年6月17日更新