マスード・ショジャエイ(Masoud SHOJAEI)
フルネーム マスード・ショジャエイ・ソレイマニ
国籍 イラン  
出身地 シーラーズ
生年月日 1984・6・9
身長 183cm
体重 74kg
利き足
ポジション MF(LMF)
FK PK FK PK
キャプテン経験 代表
代表デビュー 2004・11・17
ラオス戦
代表背番号 7 8 23 24
W杯メンバー 06年 14年
18年
ニックネーム  
個人タイトル  
チームタイトル 17/18ギリシャリーグ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
02/03 サナト・ナフト(2部)    
03/04 サイパ 9 14
04/05 サイパ 9 22
05/06 サイパ 9 24
06/07 アル・シャルジャ(UAE) 20
07/08 アル・シャルジャ(UAE) 20
08/09 オサスナ(スペイン) 19 33
09/10 オサスナ(スペイン) 8 36
10/11 オサスナ(スペイン) 8 18
11/12 オサスナ(スペイン) 8
12/13 オサスナ(スペイン) 8 14
13/14 ラス・パルマス(スペイン2部) 12 29
14/15 アル・シャハニヤ(カタール) 99 24
15/16 アル・ガラファ(カタール) 99 25
16/17 パニオニオス(ギリシャ) 77 25
17/18 パニオニオス(ギリシャ) 77 11
17/18 AEKアテネ(ギリシャ) 24 12
18/19 トラークトゥール 7 25
19/20 トラークトゥール 7    
独特の間合いと柔らかいボールスキルで敵をかわし、得点チャンスをうかがうアジア屈指のドリブラー。卓越した攻撃センスの持ち主である半面、守備意識の低さがネックです。

2部S・ナフトを経て1部サイパへ移ります。3シーズンで60試合5得点の成績を残し、「新しいアリ・カリミ」と称されるなど国内での評価を高めました。
2006年W杯終了後にUAEに渡って攻撃力をアピールし、ヴォフフスブルクやナポリなどのオファーからオサスナを選びます。2008年8月31日ビジャレアルとの開幕戦にリーガデビューし、入団の決め手となった同胞ネクナムやファンフラン、プラシルと共に前線のパンディアーニへチャンスを演出し、終盤にはA・マドリーやビルバオ相手に一人で試合を決定づけました。
2年目はプラシルが去り負担が増えますが、チーム最多タイの36試合に出場。3年目も6アシストを記録するなど、フルタイムでのプレーは少ないながらチームに貢献しました。複数の手術を受けたことによって4年目を全休し、5年目も控えに終わって退団しました。その後のL・パルマスではバレロンと共に攻撃のカギを握りますが6位に終わり、1部昇格はなりませんでした。
その後カタールに活躍の場を移し、9月12日アル・ホライティヤット戦でリーグデビューします。アル・スィーリーヤ戦でレッドを受けますが、アル・サッド戦でハットトリックを決めました。
16/17シーズンにパニオニオスへ移り、9月10日アステラス戦でリーグデビュー。イエロー13枚、レッド1枚と苦しんだものの、4得点すべてでチームを勝利に導きました。
2年目はジャンニナ戦でレッドを受けますが、アステラス戦で決勝点を挙げました。その後AEKへ移籍しますが、1年で退団しています。

U−23を経て2004年11月17日のラオス戦で代表デビュー。2006年W杯予選は1試合に終わりましたが本大会メンバーに入り、アンゴラ戦に出場しました。
2010年W杯予選では12試合戦い、サウジアラビアと韓国から点を挙げましたが、本大会行きはなりませんでした。4年後の同大会予選は5試合戦い韓国戦で退場しました。本大会では3試合に出ますが、アルゼンチンやナイジェリアの前にグループリーグで敗退しました。
2018年W杯予選は7試合戦い1本のPKを決めました。パニオニオス時代、イスラエルのM・テル・アヴィヴとヨーロッパリーグで対戦したことを受けて協会から出場停止処分を受けましたが、この苦難を乗り越え、イラン史上初めてW杯3大会に出場しました。
アジア杯は2011年と2015年に3試合出場し、後者のバーレーン戦で点を取りました。2019年大会はR16バーレーン戦のみ出場しています。
代表記録

2017年7月23日:新規アップ 2019年6月14日更新