下田 崇(Takashi SHIMODA)
フルネーム 下田 崇(シモダ タカシ)
国籍 日本  
出身地 広島県広島市
生年月日 1975・11・28
身長 183cm
体重 78kg
利き足
ポジション GK
FK PK  
キャプテン経験  
代表デビュー 1999・3・31
ブラジル戦
代表背番号 20
W杯メンバー  
ニックネーム シモ
個人タイトル 04Jリーグフェアプレー個人賞
チームタイトル 00AFCアジアカップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
94 サンフレッチェ広島
95 サンフレッチェ広島
96 サンフレッチェ広島
97 サンフレッチェ広島 16
98 サンフレッチェ広島 16 34
99 サンフレッチェ広島 16 30
00 サンフレッチェ広島 1 30
01 サンフレッチェ広島 1 29
02 サンフレッチェ広島 1 29
03 サンフレッチェ広島(J2) 1 43
04 サンフレッチェ広島 1 30
05 サンフレッチェ広島 1 27
06 サンフレッチェ広島 1 33
07 サンフレッチェ広島 1 31
08 サンフレッチェ広島(J2) 1
09 サンフレッチェ広島 1
10 サンフレッチェ広島 1
積極的な飛び出しからの1対1の強さ、戦術眼、DF陣への的確なコーチング、鋭い反射神経を生かしたセービングと総合力が高い広島の守護神です。

広島市生まれ。サッカー教室が小学4年まで入れず、3年までリトルリーグでプレーしました。4年になると兄に続いてサッカーを始め、FWやMFとしてプレーしました。
段原中を経て広島皆実高に進学。玉拾いをすることがなく、1年から練習できることも同校へ進学する決め手となりました。そして当時のコーチによりGKにコンバートされると、野球をやっていた経験を生かしてスローイングやキャッチングを難無くこなしました。身長に加えリーチも長くGK向きの体格だったため瞬く間に技術力が向上、3年時には国体に出場しました。
大学進学が決まっていましたが、広島のオファーに応えます。95シーズンの7月8日浦和戦で、GK河野がFW福田と接触して負傷したことを受け、Jリーグにデビューします。
日本代表前川が絶対的な存在でトップでの出場機会には恵まれませんでしたが、サテライトで実戦感覚を磨きました。97シーズンに河野が移籍し、翌シーズンに前川がケガをして出場機会を得て以降、正守護神に就きます。オーストラリア代表ポポヴィッチ、フォックス、奥野、上村、トゥーリオ(現闘莉王)、小村と堅守を築きますが、優勝争いに絡めませんでした。
07シーズンは2度目のJ2降格も1年でJ1に復帰します。しかしケガに見舞われる間に佐藤昭が台頭、さらに西川の加入もあってバックアッパーに徹しました。
引退するとそのままGKコーチになり、3度のリーグ制覇を果たしました。その後は広島時代に続き森保監督の下で日本代表のGKコーチを務めています。
J1:288試合 J2:43試合

U−15から代表に名を連ね、カタールで開催された1995年Wユースに2試合出場しました。アトランタ五輪は川口のバックアッパーを務めました。
フル代表デビューは1999年3月31日のブラジル戦。スタメンでしたが2−0で敗れました。アジア杯には川口、楢崎に続く第3GKとしてメンバーに入りました。
その後もジーコ監督に召集された経験があります。
代表記録 1試合

2018年12月14日:新規アップ