テディ・シェリンガム(Teddy SHERINGHAM)
フルネーム エドワード・ポール・シェリンガム
国籍 イングランド
出身地
生年月日 1966・4・2
身長 183cm
体重 78kg
利き足
ポジション FW(ST)
FK PK PK
キャプテン経験 クラブ
代表デビュー 1993・5・29
ポーランド戦
代表背番号 10 17
W杯メンバー 98年 02年
ニックネーム  
個人タイトル 92/93プレミアリーグ得点王
01イングランド年間最優秀選手(PFA)
チームタイトル 98/99,99/00,00/01プレミアリーグ
98/99UEFAチャンピオンズ・リーグ
98/99FAカップ
99FIFAインターコンティネンタル・カップ
所属クラブおよび背番号 出場 得点
83/84 ミルウォール(3部)
84 ユールゴーデン(スウェーデン) 21 13
84/85 アンダー・ショット(4部)
85/86 ミルウォール(2部) 18
86/87 ミルウォール(2部) 42 13
87/88 ミルウォール(2部) 43 22
88/89 ミルウォール 33 11
89/90 ミルウォール 31
90/91 ミルウォール(2部) 46 33
91/92 ノッティンガム・フォレスト(2部) 39 13
92/93 ノッティンガム・フォレスト
92/93 トッテナム 38 22
93/94 トッテナム 19 13
94/95 トッテナム 42 18
95/96 トッテナム 38 16
96/97 トッテナム 29
97/98 マンチェスター・ユナイテッド 10 31
98/99 マンチェスター・ユナイテッド 10 17
99/00 マンチェスター・ユナイテッド 10 27
00/01 マンチェスター・ユナイテッド 10 29 15
01/02 トッテナム 10 34 10
02/03 トッテナム 10 36 12
03/04 ポーツマス 10 32
04/05 ウェストハム(2部) 33 20
05/06 ウェストハム 26
06/07 ウェストハム 8  17
07/08 コルチェスター(2部) 8 19
最前線から引いた位置にポジションをとり、サイドに流れる動きを見せます。巧みなポジショニングや戦術眼、ポスト役でのキープで周囲を生かし、自らもゴールを狙います。抜群の勝負強さを持ち、ここぞというときに決めてくれるスーパーサブとしても名をはせています。

1982年、16歳の時にミルウォールでプロのキャリアをスタートさせます。練習生契約でしたが、2試合目で早くも得点を挙げたことが評価されプロ契約を結びました。その後レンタル移籍を経て85/86シーズンに復帰しました。
1985年にミルウォールにてデビューすると、87/88シーズンの1部昇格に大きく貢献、通算220試合93得点を挙げました。ノッティンガム・F時代は、加入した91/92シーズンにリーグ杯決勝進出を果たしますが、マンチェスター・Uの前に涙をのみました。
プレミアリーグが始まる92/93シーズンにトッテナムへ移籍し、22得点を挙げました。翌シーズンはケガで19試合しか出場しませんでしたが、チーム最多の13得点と決定力を見せました。94/95シーズンはクリンスマンとの2トップも実現しました。
1997年夏、引退したカントナの穴を埋めるべくFWを探していたマンチェスター・Uからオファーを受けます。チーム2位の9得点を挙げましたが無冠に終わり、翌98/99シーズンはヨークの加入により出場機会が限られました。しかしチャンピオンズ・リーグ決勝バイエルン戦では後半途中から出場して同点弾を挙げ、スールシャールの決勝弾をアシストして「カンプ・ノウの奇跡」を起こし、FA杯決勝でも同じく1得点1アシストでチームの3冠達成に貢献しました。
00/01シーズンはチーム最多の15得点を挙げてリーグ3連覇に貢献し、プレミアリーグ年間最優秀選手に選出されました。01/02シーズンはファン・ニステルローイの加入もあり新天地を求め、ホドル監督のオファーを受けてトッテナムに復帰します。ここではチームをリーグ杯決勝に導きますが、ブラックバーンに敗れました。03/04シーズンに所属したポーツマスでもボルトン戦でハットトリックを挙げるなど得点感覚の健在ぶりをアピールしました。
04/05シーズンに2部のウェストハムへ移籍すると、リーグ3位の20得点を挙げてプレミア昇格に貢献し、チームの年間最優秀選手に選ばれました。2006年4月1日チャールトン戦では、ストラカンやシーリーらと並ぶ40代でのトップリーグ出場を達成。8月19日チャールトン戦ではフィールドプレーヤー最年長記録の40歳と138日を更新しました。FA杯決勝ではPKを決め、ここでも最年長得点記録を作りましたが、リヴァプールに敗れました。その後もポーツマスとの試合では自己記録を更新する得点を挙げるなど精力的なプレーを見せました。
契約満了後にコルチェスターへ移籍し、このシーズンを最後に現役生活を終えました。

フル代表デビューは1993年5月29日ポーランド戦。シアラーと2トップを組み(THE SAS)、1996年欧州選手権のオランダ戦で2得点を挙げるものの、準決勝でドイツに敗れました。
1998年W杯予選では4試合3得点と高い決定力を見せて出場権を獲得。本大会では2試合に出場しましたが、チュニジアとルーマニア相手に無得点に終わりました。
2002年W杯予選ではギリシャ戦で途中出場して得点を奪い、チームに勢いをもたらして2大会連続出場を果たしました。本大会ではスーバーサブとして4試合に出場しています。
代表記録 51試合11得点
※ハイアムズパーク
2008年5月7日:新規アップ 2012年9月9日更新