マクシム・シャツキフ(Maksim SHATSKIKH) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | マクシム・アレクサンドロヴィッチシャツキフ | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | ウズベキスタン | ||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | タシケント | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1978・8・30 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 187cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 70kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 右 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | FW(CF) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | PK | ||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | 代表 | ||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | 1999・8・18 アゼルバイジャン戦 |
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代表背番号 | 10 16 | ||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | |||||||||||||||||||||||||||||
ニックネーム | |||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | 99/00,02/03ウクライナリーグ得点王 | ||||||||||||||||||||||||||||
03,05,06,07ウズベキスタン年間最優秀選手 | |||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | 99/00,00/01,02/03,03/04,06/07,08/09 ウクライナリーグ |
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99/00,02/03,04/05〜06/07ウクライナカップ | |||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
94 MHSKタシケント | |||||||||||||||||||||||||||||
95 チランザール・タシケント | |||||||||||||||||||||||||||||
96 ソコル・サラトフ(ロシア2部) | 12 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
96 トルペド・ヴォルジスキ(ロシア2部) | 4 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
97 ラダ・トルヤッティ(ロシア2部) | 22 | 9 | |||||||||||||||||||||||||||
98 ガゾヴィク・ガスプロム(ロシア2部) | 27 | 9 | |||||||||||||||||||||||||||
99 バルティカ(ロシア2部) | 19 | 5 | |||||||||||||||||||||||||||
99/00 ディナモ・キエフ(ウクライナ) 16 | 25 | 20 | |||||||||||||||||||||||||||
00/01 ディナモ・キエフ(ウクライナ) 16 | 14 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
01/02 ディナモ・キエフ(ウクライナ) 16 | 17 | 7 | |||||||||||||||||||||||||||
02/03 ディナモ・キエフ(ウクライナ) 16 | 29 | 22 | |||||||||||||||||||||||||||
03/04 ディナモ・キエフ(ウクライナ) 16 | 21 | 10 | |||||||||||||||||||||||||||
04/05 ディナモ・キエフ(ウクライナ) 16 | 29 | 11 | |||||||||||||||||||||||||||
05/06 ディナモ・キエフ(ウクライナ) 16 | 22 | 5 | |||||||||||||||||||||||||||
06/07 ディナモ・キエフ(ウクライナ) 16 | 29 | 9 | |||||||||||||||||||||||||||
07/08 ディナモ・キエフ(ウクライナ) 16 | 23 | 10 | |||||||||||||||||||||||||||
08/09 ディナモ・キエフ(ウクライナ) 16 | 6 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
09 ロコモティフ・アスタナ(カザフスタン) 16 | 15 | 8 | |||||||||||||||||||||||||||
09/10 アーセナル・キエフ(ウクライナ) 15 | 13 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
10/11 アーセナル・キエフ(ウクライナ) 15 | 28 | 9 | |||||||||||||||||||||||||||
11/12 アーセナル・キエフ(ウクライナ) 16 | 24 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
12/13 アーセナル・キエフ(ウクライナ) 16 | 18 | 5 | |||||||||||||||||||||||||||
12/13 チェルノモレツ(ウクライナ) 16 | 6 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
13/14 アーセナル・キエフ(ウクライナ) 16 | 12 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
13/14 ホベルラ・ウージュホロド(ウクライナ) 61 | 7 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
14/15 ホベルラ・ウージュホロド(ウクライナ) 16 | 18 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
15/16 ルフ・ヴィンニキ(ウクライナ4部) | |||||||||||||||||||||||||||||
クロスやスルーパスに対する反応が秀逸なウズベキスタン最高のストライカーで、ウクライナリーグにおける外国人最多得点記録保持者です。 地元タシケントでプレーを始め、ロシア2部で毎シーズンのように所属クラブを変えながらも徐々に成果を出し始めて99/00シーズンにD・キエフへ移籍します。 チャンピオンズ・リーグで旋風を巻き起こしたシェフチェンコの後釜という重圧の中、18得点のレブロフと国内最強2トップを結成、20得点で得点王になりチームをリーグ連覇に導きました。その後はメラシュチェンコやルーマニア代表チェルナト、ベラルーシ代表ビャルケヴィッチなどの影に隠れましたが、2度目の得点王を皮切りに3年連続2ケタ得点を達成しました。 アジアの選手として初めて出場したチャンピオンズ・リーグでは、1年目から予選と本戦合わせて5得点を挙げて2次リーグ進出に貢献。2年目は2得点、4年目はニューカッスルやユヴェントス相手に3得点、5年目はアーセナル戦、6年目はローマ戦と欧州の舞台でも着実に結果を残します。8年目はS・ブカレスト、R・マドリー、リヨンと序盤のグループリーグ3試合をいずれも大量失点で敗れますが、その中でもR・マドリーとの最終戦で2得点と意地を見せました。その後も2年連続でチャンピオンズ・リーグを戦いましたが、無得点に終わりました。 9年目の国内リーグは15得点のマリ代表バングーラに次ぐ10得点を挙げました。その後の母国でのプレーはわずかな期間になりましたが、すぐにウクライナに戻ってA・キエフに入り、2010年4月7日にはリーグ100得点を記念してゴールデンボールを受賞しました。2年目はヴォロベイが抜けた穴を埋めてチーム最多の9得点を挙げました。 15/16シーズンに4部のクラブでプレーし、引退しています。 1999年8月18日のアゼルバイジャン戦でフル代表にデビューします。翌年のアジア杯予選で3得点を挙げますが、本大会には進めませんでした。 5試合戦った2002年W杯予選は不発に終わりますが、2006年W杯予選は9試合で5得点、2007年アジア杯予選も4得点、本戦で3得点と役割を果たしました。 2010年W杯予選も11試合戦い、C・タイペイ相手の5得点やアウェーの日本戦など8得点。2014年W杯予選もタジキスタン戦でネットを揺らして存在感を示しました。 2011年アジア杯は6試合戦い、クウェート相手に先制点を取っています。 代表記録 59試合34得点 余談 ・実の弟オレグもプロサッカー選手です。 2015年3月31日:新規アップ 2017年6月4日更新 |