シャオ・ジアイ(Jiayi SHAO) | |||||||||||||||||||||||||||||
フルネーム | シャオ・ジアイ(邵 佳一) | ||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | 中国 | ||||||||||||||||||||||||||||
出身地 | 北京 | ||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | 1980・4・10 | ||||||||||||||||||||||||||||
身長 | 183cm | ||||||||||||||||||||||||||||
体重 | 70kg | ||||||||||||||||||||||||||||
利き足 | 左 | ||||||||||||||||||||||||||||
ポジション | MF(LMF) | ||||||||||||||||||||||||||||
FK PK | FK | ||||||||||||||||||||||||||||
キャプテン経験 | 代表 | ||||||||||||||||||||||||||||
代表デビュー | 2000・10・5 ヨルダン戦 |
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代表背番号 | 6 | ||||||||||||||||||||||||||||
W杯メンバー | 02年 | ||||||||||||||||||||||||||||
ニックネーム | |||||||||||||||||||||||||||||
個人タイトル | 02Cリーグベストイレブン | ||||||||||||||||||||||||||||
04AFCアジアカップベストイレブン | |||||||||||||||||||||||||||||
チームタイトル | |||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブおよび背番号 | 出場 | 得点 | |||||||||||||||||||||||||||
99 北京国安 | 8 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
00 北京国安 | 15 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
01 北京国安 | 20 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
02 北京国安 | 27 | 7 | |||||||||||||||||||||||||||
02/03 1860ミュンヘン(ドイツ) 8 | 12 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
03/04 1860ミュンヘン(ドイツ) 8 | 5 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
04/05 1860ミュンヘン(ドイツ2部) 8 | 16 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
05/06 1860ミュンヘン(ドイツ2部) 8 | 25 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
06/07 コットブス(ドイツ) 20 | 29 | 2 | |||||||||||||||||||||||||||
07/08 コットブス(ドイツ) 20 | 14 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
08/09 コットブス(ドイツ) 20 | 7 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
08/09 コットブスU(ドイツ4部) 20 | 10 | 0 | |||||||||||||||||||||||||||
09/10 コットブス(ドイツ2部) 20 | 25 | 8 | |||||||||||||||||||||||||||
10/11 コットブス(ドイツ2部) 20 | 25 | 4 | |||||||||||||||||||||||||||
11/12 デュイスブルク(ドイツ2部) | 10 | 1 | |||||||||||||||||||||||||||
12 北京国安 29 | 20 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
13 北京国安 29 | 26 | 6 | |||||||||||||||||||||||||||
14 北京国安 29 | 22 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
15 北京国安 29 | 17 | 3 | |||||||||||||||||||||||||||
中国きってのFKのスペシャリストとして知られる左サイドアタッカー。左足から放たれ鋭く曲がる弾道はサポーターから自身の名前を冠されています。 地元の北京国安でプレーを始めます。2年目から出場機会を増やして国内カップで2年連続のファイナリストになると、W杯にも出場して心身共に充実した02シーズンは27試合7ゴールで前年8位のチームをリーグ3位に押し上げ、ベストイレブンに選ばれました。 そして1860ミュンヘンに移り、2003年2月1日ハノーファー戦でブンデスリーガにデビューします。オーストリア代表MFチェルニーやブルガリア代表MFボリミロフらとFWラウへおぜん立てし、自身も5月10日コットブス戦で初ゴールを挙げました。 しかし2年目はケガでほとんどの試合を棒に振って2部に降格します。そのままチェルニーと共にチームに残り、チェコ代表FWコロマズニクやオーストリア代表FWアゴスティーノといった面々と昇格を目指しましたが、4位、13位と振るいませんでした。 コットブスではラドゥやV・ムンテアヌといったルーマニア代表勢とのプレーで3シーズン連続で1部残留を果たすもののリザーブでのプレーも経験。2部降格後のトップに復帰すると、自己最多の8ゴールをマークするなどレギュラーとしての役割を果たしました。 12シーズンに古巣に戻り、カヌーテやP・ウタカといったアフリカ勢、エクアドル代表ゲロン、モンテネグロ代表ダムヤノヴィッチとのプレーで上位になりました。 15シーズンを最後に引退しています。 2000年10月5日ヨルダン戦に代表デビューし、直後のアジア杯で2試合に出場してベスト4になります。2002年W杯予選で4試合戦い、本戦にもエントリーされて2試合戦いますが、ブラジル戦で4失点すると、トルコ戦でも3失点してレッドカードも受けました。 2004年アジア杯は3ゴールを挙げてチームを決勝に導きましたが、日本に連覇を許しました。3年後の大会ではイラン相手に2大会連続ゴールを挙げました。 W杯予選は2006年大会に2試合、2010年W杯予選に1試合出場しています。 代表記録 40試合8得点 2014年11月5日:新規アップ 2017年6月9日更新 |